空のように、海のように♪


パピヨンパパの思うこと
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<   2018年 01月 ( 5 )   > この月の画像一覧


愛することができる人は幸せだ」「人は成熟するにつれて若くなる」(読書no.250 no.251)

愛することができる人は幸せだ」

「人は成熟するにつれて若くなる」
(著・ヘルマンヘッセ)

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自然を愛し、東洋思想にも精通した反戦主義者のヘルマンヘッセ、この著書は85年の時を刻む。青年、中年、老年で彼の知の世界の美しい思いが詩となり物語になっている。


ヘルマンヘッセの教示を受けるのにボクもふさわしい年になった。


『愛することができる人は幸せだ』は心に止め置きたい言葉だ。


少年期の淡い恋から壮年期の愛欲の恋、そして万人への愛の境地に至る老年、


・すべての感情を意志と呼んでいいそれを愛と名付ける。

・幸せとは愛である愛することのできる人は幸せである。

・愛とは恋焦がれる欲求が叡智を獲得したものである。

・愛は所有することを求めない愛することだけを求める。


・イエスがブッダがヘーゲルが言った世界で一番大切なものは愛する能力である。


『成熟するにつれて若くなる』ことを果たしてボクは望むのだろうか。その疑問にふさわしいヘッセの答えは?


・老年は青年より劣るものではない。

・老年と闘うのをやめて以来、老化の喜ばしい諸相が知れるようになる。と言うものだった。

青年期、壮年期、そして老年期の今ヘッセの言葉が糧になる


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by willfiji | 2018-01-26 16:46 | 読書 | Comments(0)

「あきない世傳金と銀・源流編」(読書no.249)

「あきない世傳金と銀・源流編」 (著・高田郁)

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田郁氏の本「あい」に感動して次をこの本にした。主人公「幸(さち)」は武庫川近くの津戸村に生まれる。貧しい農村地帯ではあったが海や山の幸に恵まれた所だった。


父親は私塾を開いて村の子に学問を教えた。女の子に読み書きはいらないという母親だったが父親は幸が学ぶ事を止める事はなく、優しい兄も幸が学問に興味を抱いている事を知って、色んな事を教えた。幸は聡明な子であった。


そんな家族に運命は容赦なく、父と兄が他界してしまう。幸は大阪商人の下へ奉公に出る。


父親が商は詐(いつわり)と言って商人をそばに寄せ付けなかったがその商人の女衆になった。幸
9歳の時であった。


そこは「五鈴や」という呉服商で
5年は無給、丁稚は読み書きそろばんをはじめ商いについて学べたが女衆は商家の家事労働が一生の仕事となった。


幸の聡明さを知った番頭の治兵衛は丁稚に教える部屋の隣に幸の仕事を与えた。


番頭が何故学問をするのかと幸に問う、幸は兄から教えてもらった「知恵」という字を短冊に書いて七夕に願ったその意を答える。「知恵は生きる力となる」「物を知る事は生きる力となる」と。

番頭は幸の問にも答えてくれる。父の教えた「商は詐(いつわり)」とは違った商人の道だ。


著者は幸を通して商人道をどう解釈していくのか、後日続編を手にしたいと思う。


ボクの仕事の原点は商人道にある、ベトナム戦争とソ連崩壊は衝撃的な出来事だった。ベトナム戦争は武力で平和はもたらされない事を、ソ連崩壊は自由・平等・博愛こそが人間の普遍的真理であることを知った。

ソ連首脳がアメリカ社会を視察して資本主義の勝利を見せつけられたのはスーパーマーケットの存在だった。

全ての市民に豊かな生活を提供する、その世界は社会主義がめざす市民社会でもあった。


アメリカに遅れて日本も流通革命が起こった、市民生活のための商品提供が戦後の平和産業と結びついたものだった。江戸時代に生まれた商人道の精神も日本の流通革命を促した。


流通革命は戦争やそれに加担する者を許さない、搾取や差別を嫌うフェアートレードの世界だ。知恵が豊かな社会を作っていた。


商人道のかけらもないトランプ大統領の登場は無知の象徴であり資本主義の終焉をも意味している。軍事力強化を図る安倍政権の振舞いも知恵のなさの表れだ。


無知から生じるナショナリズムに走る人も多い、現役時代もう少し商人道について部下たちに話しておけばよかったとボクの反省がある。


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by willfiji | 2018-01-20 12:18 | 読書 | Comments(0)

「シッダールタ」(読書no248)

「シッダールタ」 (著・ヘルマンヘッセ) 

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1922年に出版されたヘルマンヘッセのこの著は42か国語に翻訳され、発行部数も1000万部を超えている。日本でも大正14年に初翻訳され、ボクが手にしたのは2005年の岡田朝雄氏による最近のもの、まさに名著だ。


世界が善から悪に向かっているという有識者の認識が年頭に多く視られ、もう一度善というものを見直したいという思いが沸いた。


教がめざしているものはではないかと確認したくてこの本を選んだ。


詩人であり作家であるヘッセは徹底した反戦主義者であり東洋の思想の精通者であり、

時の権力に常に反発した個人主義者であり、共同体の束縛を何より嫌ったアウトサイダーであり、自然を愛した人であったことに強くひかれたのだ。


シッダールタは釈迦ではないが釈迦のような人。

若くして遍歴の旅に出る、裕福な家庭に育ち父親の跡を継ぐ定を捨てての行動にためらいはなかった。友と共に瞑想、断食、托鉢の旅。衣一枚纏った僧侶は珍しくもなく食べてはいけた。シッダールタは瞑想の中で自分を発見し仏の心を知るようになる。


途中、名僧に会い問答の中で幾多の事を学ぶ、友はその名僧の下で修業することになるがシッダールタはそれでは満足いかず一人で遍歴を続ける。


カマラーという美しい女性に会い、シッダールタは俗世に入る。商人として才覚を現し、

富を得、カマラーとの愛の日々が続く。それでもシッダールタの心を満たすものはなく、カマラーの自分を愛していないという問いに答えることができない。


存在するのは知であるが知の敵は知ろうとすることであり学ぶことだと彼の心は揺れる。


知は富や愛を手に入れるが現実を生きる中で苦が生じている。
運命と戦うことをやめ苦しむことをやめることはできないのか、叡智は学ぶことも教えることもできない、自分で体現するしかない。シッダールタはすべてを捨て、遍歴の旅に再び出る。


渡し舟の舟守に出会い、河の音を聞くことを教えられる。河はひと時も留まることがないがそこにある河は河である。


ヘッセはシッダールタを通して語るのは仏の道。ヘッセは詩人である、その詩は快く聞こえてくるがボクにとってあまりにも深淵だ。


知は自分の未熟さを知るものでもあり心を癒すものでもある。久しぶりに手にしたヘッセに触れてもう何冊か読んで見ようと思いが募った。


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by willfiji | 2018-01-16 11:33 | 読書 | Comments(0)

「あい」(読書no.247)

「あい」 (著・高田郁)永遠に在り 

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読書好きの友人から勧められただけある感動の書である。


表題の「あい」は主人公の名前であり「愛」であり「逢」であり「
遭」でもある。

人生に何度も訪れる「遭」をあいは「逢」に変えて乗り切る、そこには常に前向きで決してひるまない力がある。

あいは幼い頃、藪の中を佇む少年の姿を見た。山桃の木が幼くして死別した母となって少年の悲しみを受け止めていた。養父母は優しい心を胸に隠し貧しくとも厳しい勉学の場を少年に持たせ少年はその期待に応えた。


医学の道を志す少年は学舎の下働きをしながら学ぶが更に学ぶために蘭学の地長崎に行く余裕はなかった。少年の養父はあいの叔父、あいもやせた土地である九十九里近くの貧農の娘であった。

叔母はあいに機織りを教える、あいの織物には心がこもったぬくもりがあり織商で人気となる。


少年は村に戻り寛斎と名乗る、あいには幾多の縁談があったが叔母はあいこそ寛斎の嫁とふたりの縁組が成立する。あいも少年も一緒になることが運命づけられていたのだ。あいは寛斎を支え続けることを誓う。


寛斎は名医であったが貧しい者からは金品を受けず、むしろ自分のものを分け与えた。戊辰戦争での活躍により名声を得、子供たちも立派に成人した。


隠居になれる時を迎えてから寛斎は地位や名誉まで捨てて北海道開拓を志す、73歳の時だ、あい68歳。


一人だけで北海道へ行くという寛斎を説き伏せ共に苦難の道を歩むあい。


関寛斎の功績は歴史上知られているが、
著者は影で支えた妻あいの視点から描く。

あい無くして寛斎の偉業はない。


73
歳からの挑戦が史実であると知っただけで志の高さに敬服するばかりだ。


この本は二人の人生そのものが善で貫かれ、いかなる困難な出来事に出会っても打ちひしがれることなく新たな道を進むあいの姿が優しい文体でつづられている。

読者は愛することの意味を噛みしめることになる。


「みをつくし料理帖」で人気作家になった著者、山本周五郎に影響を受けたという、


世界が善から悪へと向かっているこの時代に善の道を歩む人たちのことをこれからも書き続けて欲しいと願う。


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by willfiji | 2018-01-12 11:28 | 読書 | Comments(0)

「青空としてのわたし」(読書no.246)

「青空としてのわたし」(著・山下良道)
 

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年頭に手にしたのは仏教の本。著者は曹洞宗に籍を置いたがブッダの本質を追求して世界を巡り、小乗の地でも修行を積み大乗と小乗を統合した考えを持つに至りその教えを説いている。


誰でも知っている仏教の流れは、ガンダーラに西進しシルクロードを通って日本に伝来した大乗仏教とインドから東南アジアに広がったのが小乗仏教だ。


ボクが大乗は小乗よりも寛容で日本は良かったと思ったのは小学生の頃だっただろうか。

著者は今の日本の僧侶の姿に疑問を投げかける。それはボクが思っていたことでもある。


今の仏教は葬式仏教と言われても仕方がない実体がある。ボクも檀家の一員だったが先祖代々の墓を昨年始末した。

亡き父母や先祖を敬う気持ちがないわけではないがその墓に魂が宿るとは思えないからだ。散骨してもらえばいいとの思いからの「墓じまい」だった。


著者は今を生きる人たちのための仏教を伝える。仏にすがることではなく自分の力で立つ教えだ。


瞑想から導かれる著者の教えはボクが禅宗で経験した「空」や「無」の世界の瞬間を繋ぐ只管打座(しかんだざ)の時を日常の中でも見いだせというものとは違っていた。


ボクが知っている禅は瞑想する時に「空」を見出して自分の邪念を解く時間を持てというもの、非日常の世界だ。著者は日常の中で「青空」を自分自身の心に持てと言う。

「青空」に白い雲や黒い雲が浮かぶ姿を瞑想の中でイメージするのだ。


考えてみれば青空の中にいるというイメージを持つとブッダが菩提樹の下で瞑想した心に触れる感じがする。


瞑想してもなかなか「空」になれない。一瞬たりとも「無」になれない。早朝の禅寺の時を思い出す。

「空」を導くために春夏秋冬の一年の自然の景色をゆっくりイメージする方法を習った。「無」になれないが自分の中にある苦から解放され浄化される一時ではあるが心地よさを知った、日曜毎に禅寺に通う日々もあった。


その何日かは僧侶たちと朝粥を共にして説教も聞いた。その時は合点しても自分からの逃避の一時という気持ちが常にあった。


著者は浮かぶ雲に囚われず青空の自分を作れという、

浮かぶ雲は他者の問題ではなく自分の中にある問題だ。白い雲も黒い雲も自分の中にある。


他者のために黒雲を一掃しようとするそのことが自分のためにならないのだ。

青空の自分はあくまで自分を大事にする。他者は放っておけばいい。

年初に読んだ仏教の本、黒雲は自分の中にあるとは黒雲を作っているのは自分だということ。理不尽を許せない性分をどこまで変えることができるだろうか、菩提樹の下でブッダが解脱した悟りとは世界観を変えてシェープアップすること。

海を波と考えるか水と考えるか、波ならば高低と強弱がある、水と考えれば変わらぬ海である。
禅問答だが、菩提樹のもとに青空を思うそれが年頭の心となる。


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by willfiji | 2018-01-05 10:14 | Comments(0)