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「日本会議の研究」(著・菅野完)社会の劣化ともいえる右傾化の源、日本会議とは?
![]() 日本の民主主義が危ういと感じたのはここ数年のこと、かつて自民党政権が続いた時でもこんな雰囲気はなかった。右翼はそれなりの勢力を持っていたが、特殊な人たちで国を揺るがすものではなかった。 戦争の悲劇を二度と繰り返さないと多くの国民が思っていたから自民党政権の主流派も自由を尊重していた。 それは安倍晋三氏の人気がネットの社会にじわじわと出てきた頃だ。 そして民主党政権が簡単に崩れ、敵失で安倍政権が誕生した。 従軍慰安婦捏造問題によって朝日新聞が糾弾されたり、靖国に参拝する国会議員のパフォーマンスが繰り返されるようになったり、太平洋戦争はアジアを救う戦いだったと国粋主義者しか言わなかった主張が表に出てきた。 驚いたことに明治憲法回帰を連想する反憲ともいえる改憲が自民党の草案となった。 なぜこんな風潮が生まれたのか? 靖国参拝を「僕のおじいさんは戦争に行った、国のために命を投げ出した人を悼むのは当たり前だ」と感情で肯定したのは歴史を学ぶ機会が少なかった40代の人たちだった。 若者の一部はゲーム感覚で暴言を吐くネット右翼と化した。 日本の右傾化は仕掛けられたものだ、その中心が「日本会議」だ。 ボクは「生長の家」の分派と思っていたがこの書が「日本会議の謎」を明らかにした。 安倍政権にはおかしな人がいる、国民主権の元である立憲主義に否定的な言動をする人だ。衛藤晟一,高市早苗、稲田朋美。 この本は、日本会議は生長の家が政治活動から手を引いて行く過程で創設時の思想への回帰を企てた原理主義的な人たちが分離独立しそうしたメンバーが中核となって作りあげたものだと解明する。彼らの目的は明治憲法復元なのだ。 日本会議を先導するのは70年代の全共闘に対峙した民俗派といわれる人たちで、全共闘が崩壊してもその流れを地道に推し進めてきた。新興宗教や神道が寄り集まってゆるい組織をつくりあげた。反左翼ということだけで繋がっているカルト的要素がある集団だ。 安倍政権になって在日の人たちへのヘイトが頻繁に出てきたのは日本会議の根本にその体質があるからだ。 右傾化するその思想内容についてはこの本はあまり解説しない。それはこの本を読む人ならわかっているからだと思う。 太平洋戦争を反省する姿勢を自虐的だと否定するのが日本会議だ。日本人は優れた民族で日本は神の国だと言ってはばからない。 自分を必要以上に誇る人をナルシストという。自己満足にひたりじっとしていればナルシストに罪はないが、ナルシストがナショナリズムとなって、ヘイトを生みだし戦争につながることがある。 彼らは「美しい日本」という言葉を頻繁に使う、美しい日本人は謙虚さや奥ゆかしささや譲る心を持つ。ヘイト思考にある彼らにそれを語る資格はない。 日本会議が閣僚の過半数を占める状況は日本の民主主義の危機だと言える、この本の発行を封じ込めようとした日本会議の動きが逆にこの本の注目度を高めアマゾン1のベストセラーに押し上げた。 安倍政権はサミットや広島を利用してあわよくば改憲に進もうとしている。 現憲法には確かに不備な点もあるが、彼らのめざす明治憲法に戻させてはならない。 この本はそのことを一番危惧している。 ▲
by willfiji
| 2016-05-29 11:25
| 読書
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「奇跡の脳」(著・ジル ボルト テイラー)脳学者の私の脳が壊れた。
著者は有望な若き脳学者、兄が失語症だったために脳の研究をしていた脳学会の前途有望なホープだった。37歳のある日、突然、脳血管が切れた。何が起こったのか本人にはわからない。 「のうそっちゅう!」一人暮らしのアパートで時間が刻々と過ぎる。 ![]() それから8年の脳の世界の旅にこの本は導く。 前半は脳治療のことが、後半は著者が障害を負った左脳と命を救い新しい自分を再生した右脳の働きの違いが書かれている。 特にすばらしいのは脳学者が自らの脳を献体として、右脳こそが自分自身を生き生きとさせるもとになると人類全体の平和まで言及して右脳重視の世界を伝えていることだ。 著者は右脳と左脳の差を靴と靴下を例にあげて説明する。どちらも履くもので右脳だけで履くことができる。左脳は順番を示す、靴を履いてから靴下は履けない。 左脳は時間概念があって、右脳は瞬間だという。著者は左脳機能を失って、幸せな何とも言えない解放感を覚えたという。人間は左脳に左右されて不幸な自分の物語をつくることがある。右脳だけならそう考えないで瞬間だけを捉えたエネルギーを感じることができきる。 右脳と左脳があることを意識してコントロールすることができれば人間は新しい自分になれる。この本はボクが太極拳やヨガによって導きたいと考えている世界を更に引き寄せてくれた。 「悟りとは学ぶことではなく学んだことを忘れること」と示唆に富んだ指摘がある。 怒りで頭がいっぱいの時、「左脳から右脳に感情を移行させる時間を持つこと」、ボクはこれを自分のものにしたいと思う。 右脳が優れた人になろうと心がけてはいたが考えれば考えるほど左脳が成長してしまったと思う。 今一度右脳の働きを自分の中で感じることができるようにしていきたいと思う。 ▲
by willfiji
| 2016-05-24 11:28
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「動物たちの反乱」(河合雅雄・林良博)増えすぎるシカ、人里に出るクマ。
かつて高度成長時代にシカやイノシシやサルがこんなにも増えて、人里に入り込むという現未来を予測した人はいなかっただろう。 ![]() 工業化が進み、動物たちは山奥に追いやられ、絶滅する寸前の世界で生き延びると思っていた。 高度成長が終る。残されたのは荒廃する農耕地や山林、里山の姿はそこにはない。 それでも先進国の中で国土の7割が森という国は珍しいらしい。日本は世界でも有数の野生動物たちの棲み処だ。 日本の森はかつて広葉樹で覆われ、人と動物の共存する世界を作っていた。 明治維新以後日本は動物たちに過酷な試練を与える国になった。 酪農が奨励され、それを狙うオオカミが銃殺され絶滅した。富国強兵によりカワウソの皮が軍人のコートとなって日本カワウソが姿を消した。戦後の植林は効率が求められ針葉樹の森となった。動物たちの暮らす場所を寸断した。都市化の波がそれに輪をかけた。 そうした数々の逆境があったけれどそれを乗り越えて多くの動物たちは生き延びた。 そして今、動物たちは民家に近くまで来るようになった。兼業農家の作物は森の実りより美味しいことを知った、しかも簡単に手に入る。 猟師が減って、間伐されない森はシカが食べるのには充分過ぎるほどの草木が茂った。農地から人がいなくなって人が怖くなくなった。獣害は昔からあったが、増えている事が問題だ。 縄文時代から日本民族は動物と共存していた。 キリスト教では神は人の形をしていたが日本の八百万の神には人間もいれば動物もいる。慰霊碑を残して死を悼む。野生動物への対処としてこの本は解決策を提示している。 シカは間引きしたシカの肉を食肉にすべきだ。サルはイヌを使って人里に来ないように追い払う。イノシシに餌付けしない。休耕地の果物の樹は伐採する等々。 完全に獣害を無くすことはできないが、それが日本人らしいやり方だと読み取れる。アトムが描いた未来都市とは違う風景が日本の未来にあっていいと思う。里山主義が注目される、「うさぎおいしかのやま」の世界だ。 また欧米では動物福祉の観点から登録認定されればイヌの自由歩行が許されるが日本では原則リードをつけなければ公園や広い野原すら歩けない。 日本人は長くイヌを繋いでなかった。共存していたからだ。今はなにかあったら大変だとなんでも規制する。それが自由の国なのか?疑問が残る。 我が家のイヌたちは普通に接すれば決して人を噛まない、ボクと一緒ならコントロールできる。 自由に広場で遊ばせたい。 今は子供たちのボール遊びもままならぬという住みにくい世界になっている。モンスターが暴れるからだ。人を規制する憲法草案まで出て来た。 統治者にとってやりやすい典型が北朝鮮であることをみれば、自由の意味がわかるはずだ。 日本の野生動物に対する考え方も獣害規制よりももっと寛容な共存の世界を見つめるべきだろう。 ▲
by willfiji
| 2016-05-22 10:41
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「ブラジルの不毛の大地・セラード開発の奇跡」(著・本郷豊。細野昭雄)
スカッシュ仲間からご主人が書いた本があると聞いて早速手にした。 題名を聞いて、「軌跡」だと思ったが「奇跡」だと分かった。 きれいな響きを感じさせる「セラード」とはブラジル内陸部に広がる日本の5,5倍の面積を持つ大地のこと、アフリカにおけるサバンナのような農耕には不向きな不毛の土地だった。 ![]() ご主人の本郷氏はボクが社会人になる2年前にJICA(の前身)に入った。氏は生涯をかけて農業革命を成し遂げていく。社会貢献とはこういう人たちの業を指すのだろう。 長年アメリカ一国が圧倒的生産量を持っていたダイズをセラードの土地を開発することによって飛躍的に拡大させてその地位を奪うという偉業を成し遂げたのだ。 アメリカが減ったわけではないから大増産の意義は人類に貢献する偉業だ。 痩せたセラードの土地を改良しダイズを植える、その種は気候に合わせて改良し収穫効率を高めたもの。日本の研究が成果となった。セラードの土地に入ったのは日系2世達、彼らはブラジル移民の日本人の勤勉性と貧しくても教育を惜しまない環境が育てた農業改革にふさわしい人材だった。プロジェクト成功の中心に本郷氏の姿がある。 ボクが入社した1973年はトイレットペーパ騒動の真最中、ニクソンの「ダイズショック」があった時だ。日本へのダイズの輸出を止めるという乱暴な政策だったが有限である資源の取り合いが始まった。その時動き出したのが、ブラジル・セラード農地開発だ。 ボクは流通業に身を置き、流通革命によって人々を幸せにすることを標榜した。メーカー支配からの脱却を目指して消費者に代わって商品を世界から調達することに懸命だった。高度成長の終焉は価格から価値へ転換をもたらし成熟社会に入って行った。 豊さをもたらす価値とはいったい何であるのか、懸命に過ぎたビジネスの中での功罪をボクはリタイアしてから考え続けた。マネー資本主義の波の中で漂いたどり着いた小島にいるような心境といったら言い過ぎだろうか。ただしこの小島は穏やかでボクはこの棲家が気に入っている。 人生は1回しかないが2回も3回も経験させてくれるのが本だ。本郷氏の記録はボクの時間と重なって、過去の解釈を変えてくれる。 ボクのビジネスよりも過激にブラジル経済は混迷を極める。ハイパーインフレに襲われるブラジル通貨レアル危機、ODA資金を預かるJAICA その時本郷氏は何を考えどう行動したのだろうか。 この本からは詳細はわからない。ボクのビジネス以上の大波が押し寄せたに違いない。BRICSのBはブラジルのB、新興国の経済が世界経済を牽引すると注目されたがそれもつかの間、資源安が新興国成長にブレーキをかける。今年オリンピックを迎えるブラジルは東京に競り勝った時とは全く違う環境の中にある。 そんな中、本郷氏はきっとじっくりと未来を見据えているように思う。世界人口は70億を超えやがて100億に迫る。 人はパンなしでは生きられない。セラードの成功は地球温暖化による、サハリやゴビ砂漠の拡大に歯止めをかけ、セラードと共に人類を救う食料供給地に生まれ変わるだろう。 持続可能な世界は資源の有効活用によってしか実現されていない。投機というゲームから覚めた時、人類はこうした人の努力こそが人の命をつないでいくと理解することになるはずだ。 知人のご主人という地縁から有意義な本を読ませていただいた、感謝の気持ちを伝えたい。 ▲
by willfiji
| 2016-05-11 10:04
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「ゼロ!熊本市動物愛護センター10年の闘い」(著・片野ゆか)
今回の地震で甚大な被害を受けた熊本、避難状況の報道の中で特に気になったのがペットの事だ。 今までとは違ったのはペット被災に早い動きが見られた事だ、多くの動物病院が被災家族の受け入れを表明しペットOKの避難場所がSNSで拡散された。 そんな中でこの本があることを知った。偶然にも著者の本はこのブログで何冊か紹介していた。 ![]() ゼロ!とは犬猫の殺処分ゼロを表す、昔は100万頭以上、10年前でも40万頭の犬猫が何の罪もないのに殺されていた、去年は10万頭まで減ったがこれでも少ないとは言えない。 熊本市は犬の殺処分を限りなくゼロに近づけて、自治体のあるべき姿の先頭に立っている。 その姿勢は今回の災害時に現れた。熊本愛護センターのホームページを見てもよくわかる。避難しているペット同伴家族に不足するものの提供を掲示している。 熊本市もかつては他の自治体と同じように犬猫の殺処分をしていた。市の公務員が最も行きたくない職場で配属されたら嫌でもその作業に加わった。 この本を読んで初めて知ったのは行政に携わる獣医師のそこが職場になっていたという事だ。獣医の資格がある人が熊本市に採用されると食品安全にかかわる部署や家畜関係、市の動物園に配属される。愛護センターと呼ばれる殺処分の現場もその一つだ。 配属された獣医師は毎週決まった曜日にガス室に処分する犬を押し入れる作業に加わる。誰もそんな仕事から一刻も早く抜け出したいと願い、プライドも失う。 そんな中で立ち上がった人たちがいた。彼らは動物を心から愛していた。 犬殺しと呼ばれ、動物愛護団体からは毎日のように罵倒される。 責任感の欠片もない飼い主が飼いきれなくなって持ち込んだ犬は法律上引き取らなければならず、迷い犬ではないから時を待たず処分される。子猫が施設前に捨てられることが日常だった。 犬や猫たちを救う10年の闘いは平坦ではない。昔は野犬だったが今は殆どが飼い犬だ。ペットの命は人間の手に委ねられている。 人間がその気になれば、殺処分はゼロになる。熊本市のやり方は他の自治体でもやればできることだ。 行政の姿勢がここで問われる、それは情報開示するかどうかの姿勢だ。どのように殺処分されるか、何頭が処分されたのか、実体を開示して現実のありのままの姿を見せる。 情報開示しない方が面倒がないと考える自治体が多い、そのむごさに批判が起こるよりも黙って処分すればいいと考えているからだ。 熊本市は批判を恐れず開示してあらゆる人達と協力関係を築いていくことに注力した。愛護団体もヒステリックに批判する人ばかりではない。譲渡会を開いたり飼育の相談にのったりする。 獣医師達も譲渡会のPRや猫の去勢や避妊の応援をする。ペットショップまでもが譲渡会情報を流すまでになる。処分のために犬を持ち込む人たちにも命の大切さを時間をかけて説明する。強面の人たちにもひるまない。そんな地道な活動が10年も続く。 行政にとって限られた予算の中で最大効率を図るにはボランティアとの協力関係をつくることがキーとなる。ボクも動物園ボランティアをやっているのでよくわかる。 行政に代わってボランティアが活動すれば人件費はかからないかわずかだ。 行政の中には往々にして上から目線になる人がいる。お上意識、官僚的態度だ。 NPOやその他ボランティアの中にも行政に対してへつらう傾向がある。 公費で賄われることがあって、場を提供されている関係があるからだ。既得権となって効率の悪い活動になっている実態もある。 熊本市動物愛護センターが殺処分ゼロの自治体になり、今回の災害でも見事にその役割を果たしたのは、犬猫のかけがえのない命を守るという目標が関係者の夢として捉えられた事にある。 犬猫を飼う事は命を握る責任をも持つということだ。責任以上の大きな喜びをその生き物は与えてくれる。 欧米に比べて遅れているペット行政だが、一番進んだ熊本市のやり方を各地に取り入れる時ではないかと思う。 災害は人にも動物にも振りかかる。熊本市の動物への愛情が本物であったことを改めて教えられた。 ▲
by willfiji
| 2016-05-06 17:13
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「チャンキ」(著・森達也)
この頃フィクションばかり読んでいたが久しぶりに小説を手にした。 作者はオウム真理教信者のドキュメンタリー映画「A」の監督。 ![]() 最近地上波TVが面白くないから、BSをよく観る、著者がこの本を語った番組があった。丁度小説を読みたくなった気分にマッチした。500ページ以上の分厚いものだがその量を忘れる位面白いとの言葉を信じた。時々間延びする部分はあったが、確かに軽快で内容の深い本だった。 チャンキは高校3年の男子、思春期の男子の気持ちがそのまま描き出され、幼さのもつ不安定な純粋さがストーリーを軽快にする。 青春小説のように賢くて美人の彼女も登場させているから読むスピードが更にアップする。 序説を過ぎた当たりで自殺者が毎年何百万人という数字が出て来る、現在の3万人とは桁が違う、作者は日本の少し未来に時を設定していたのだ。 今の政権がこのまま少し続いたらきっとこうなるだろうという日本の姿だ。 人口は自然減だけでなく、自殺者によって更に減っていく、活力を失った日本から外国人は引き上げ、産業は衰退する。それでも生活が保たれるのは国際社会からの多額の援助があるからだ。その未来予測の組立は論理的ではないが、作者は過去の歴史を「事実はない、あるのは解釈だけ」とニーチェの言葉を用いる場面を用意して、自分の解釈で書いていることを読者に推測させる。 この高校生2人が祖国に帰り損ないわずかになった外国人との交流を通して先進国では見向きもされなくなった日本の国際的地位を認識する。アナウンサーだった男子生徒の母親はかつてヘイトスピーチのマイクを握り、その世界ではアイドルだった。それが現在でそこが日本衰退の節であったと語る。 明日は憲法記念日、憲法改悪を標榜する安倍首相は保守系TVで「多くの学者が違憲としている自衛隊を合憲にするため」とうそぶいた。 戦争をしないで70年も過ごせた国は有史以来国家としては日本だけ、戦争する国にしてはならない。法解釈を無理やりして、自衛隊を違憲の軍隊にしてしまったのは安倍政権だ。 違憲にしておいて、その違法性を改めるために憲法改正が必要というまことにおぞましい言動に欺かされるほど国民は無知ではない。現憲法には平和を守る部分以外に変えるべき所もある、でもこの姑息な政権下では改正に賛同したら変えてはならない所が変えられてしまう。現政権が少し後の世代にどのような犠牲をもたらすのか?この本は予測している。 ▲
by willfiji
| 2016-05-02 18:48
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