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「ジャーナリストはなぜ戦場へ行くのか」(読書no.286)

「ジャーナリストはなぜ戦場へ行くのか」
(編・危険地帯を考えるジャーナリストの会)

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安田純平氏が武装集団から解放され戻ってきた。連日ジャーナリストの自己責任についての議論がマスコミを賑わした。


ジャーナリストの自己責任が問われるようになったのは、
2015年、イスラム国による後藤健二氏と湯川遥菜氏の人質殺害事件以降だ。自己責任論は政権の露骨な報道統制と萎縮したメディアによって世論ともなった。


今回の報道を見ると相変わらず自己責任論の者もあったが多数の人たちがジャーナリズムの使命として語った。世論が変わってきたとボクには感じられ、この本を手にした。

変化の一因にはこの本を編集した人たちの努力があったことが見逃せないからだ。


書は「危機感に駆られたジャーナリストたちがフリーランス、新聞社、通信社、テレビ局など立場や媒体を超えて本書に集結。海外取材の実績を踏まえ、これまでの「事故」をシビアに自己検証し危機回避の具体的方策を提示するとともに、「それでも誰かがそこへ行かなければならない」と訴える。


安倍政権とその擁護者の特徴は「知らしむべからず」で民は黙って権力者に従えばいいという傲慢さがある。中東と言う遠い所で起こっていることなどなぜ日本人がかかわるのか、欧米が報道するニュースの配信を得ていればいいではないかというもの。こうした言動は国民の知る権利を脅かす権力の乱用である。


違法性のある集団的自衛権容認を強行採決した日本はアメリカ軍応援に入る道を歩んでいる。そうした現状をふまえても中東で何が起こっているのかそれが日本にどんな影響があるのかジャーナリストが現地に入って事実を伝えなければならないのは明らかである。

国境なき医師団が危険地帯に入って行くのを誰も自己責任とは言わないのに紛争地域での取材を自己責任とするのかという問いを編集者たちは提起する。


エボラ熱にかかってしまう医師たちと同じようにジャーナリストたちは安全対策に万全を期すが絶対ではない。


海外で全く言われない自己責任論が日本で起こるのはなぜか、「和を以て貴しとなす」を心する日本人の長所が「事なかれ主義」に陥っているのではないかと書は国民性に言及する。沈黙は独裁者や虐待者や圧政者たちに力を与えるだけだ


アジア太平洋戦争最中、戦争の実態を正確に伝える報道があったなら戦争をもっと早く止めることができたのではないか。


「虎穴に入らずんば虎子を得ず」とシリアに入った安田純平さんをバッシングする社会に強力にパンチを浴びせたこの本のジャーナリストたちにボクは心から敬意を表する


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# by willfiji | 2018-11-13 11:26 | 読書 | Comments(0)

「不死身の特攻兵」(読書no,285)

不死身の特攻兵」 (著・鴻上尚史)
軍神はなぜ上官に反抗したのか? 

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元特攻隊員佐々木友次さんが亡くなったのは201692歳だった。著者はその少し前に佐々木さんに会って何回か話を聞いてこの本を書いた、
佐々木さんは意識も記憶も明瞭だった。

作家であり演出家である著者は数多の戦争にまつわる書を著す。史実に基づくそれらの書は戦争が一人一人の国民にとってどんなものだったのかを明らかにしている。


佐々木さんは陸軍第一回の特攻隊「万朶隊」(ばんだたい)に配属された。体当たりしろという上官の命令に反抗し
9回の出撃があったが爆弾を落として9回とも戻ってきた


特攻隊第一号と言われる海軍敷島隊の関大尉は報道記者との二人だけのインタビューでこう語った。「日本もお終いだよ。ぼくのような優秀なパイロットを殺すなんて。ぼくなら体当たりせずとも敵母艦の飛行看板に爆弾を命中させる自信がある」。この記事はその時軍部からどなられ書き直しを命ぜられた。


特攻隊は初めの頃はベテランパイロットを起用したがその後は若年化し未熟な者たちが担った。特攻の命中率は
10%以下、特攻隊で亡くなった人数は約3800名、そのうち士官は4%にすぎない。特攻は過剰な精神主義から生まれ、続けさせられた。


東条英機首相は帝国議会の施政方針演説で「最後の勝利はあくまでも最後の勝利を信じて闘志を持続したものに帰する」と話した。飛行学校では「敵機を精神で撃ち落とせ」と語った。

東条の「生きて虜囚の辱めを受けず」という言葉は有名だ。「捕虜になるくらいなら死ね」というこの言葉によって何十万人の人が命を絶った。論理ではなく感情で国民を煽った。


佐々木さんは一回目の出撃から戻った時、既に戦死者として天皇に上奏され新聞は神として報道し郷土では盛大な葬儀も行われた。

佐々木さんは生きていてはならない軍神であった、司令官は死んで来いと何度も特攻へ送り出した。

飛び立つ隊員に司令官は最後は自分も身を捧げると訓令した。が、戦局が怪しくなると真っ先に逃避した。佐々木さんは死んで軍神になった人だから最後まで戦場に遺された。飢えと熱病に侵されながら戦後故郷に戻った。

佐々木さんに対する周囲の目は冷たかった。一方真っ先に逃げ帰った司令官たちは遺族に対しても勇敢に死んだ兵士たちを称え命令者の罪を覆い隠した。そこには命令した者の責任逃れの姿だ。特攻は志願の形をした命令であった。


靖国に祀られる兵士たちは国のために命をかけた人たちでありその人たちに哀悼の意を示すことは国民の心情ではある。しかしその心情を利用して軍神として祀り上げ命令者が兵士たちを死なせた事実を隠蔽してはならない。

インパール、レイテ、満州等々の事実が明るみになってきたのは命令を受けたひとたちが真実を明らかにしたことによる。

人間は戦争をしては反省し忘れた頃にまた戦争をする。
70年平和だった日本がまた戦争の道を歩みそうな時を感じて命令を受けた人たちが声をあげたのだ。


死人に鞭打つことは非礼ではあるが東条英機をはじめとする人たちが行ったことは非道の極みであったことは事実として遺さなければならない。
戦後命令した人が国民総ざんげと戦争責任を国民全員に押し付けたのも責任を逃れの言動だ。


東京裁判は戦勝国による一方的なものだというのは理解できるが裁かれた人たちが中国や南北朝鮮やアジア諸国の人たちに加害者として何をしたかを明らかにして心からの謝罪をすることが日本の取るべき立場だ。

それができてアメリカによる一般人を狙った大空襲や原爆投下の非道も訴えることができるのではないだろうか。


戦争は根絶することはできない。しかし事実を明らかにすることによって抑制することはできる、命令者より命令を受けた人たちこそ偽りのない事実を語っていることをこの本は明らかにしている。


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# by willfiji | 2018-11-09 15:27 | 読書 | Comments(0)

密謀」・「義民が駆ける」(読書no.283・no.284)

「密謀」・「義民が駆ける」 (著・藤沢周平) 

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同期旅行で山形を訪れ、藤沢周平館に立ち寄った時、かつて読んだ「たそがれ清兵衛」や「武士の一分」を題材に、武士の生き方を自分たちのビジネスマンとしてのそれとすり合わせ、夜の宴会までも語り合ったのを覚えている。


この夏行ったキャンプ場は新潟県六日町、その地に直江兼続館があると知って行ってみたが閉館、残念な気持ちになったことが重なって、山本周五郎を味わった次の本としてこの二つを選んだ。


「蜜謀」は豊臣方に味方する会津上杉景勝とその重臣直江兼続の物語、忍びの者の「与板の草」が読者を惹きつける。景勝はあの謙信を継いだ人、越後の地から会津に移封して
100万石を有した。

戦国大名の中にあって義を重んじ自らの力量を知って野心を持たぬ人であった。直江兼続の名は名将の誉れ高く景勝を凌いでいる。その兼続は景勝を支える義に厚く将を天下人に導くことを避けた。


藤沢周平にとって兼続こそ書にするにふさわしい武将であった。


いつの時代にも人は強い者に寄り添い多数になびく、それは生存競争を生き抜く本能でもある。一方人には弱いものを庇う心を持っている。

強い者と戦わない本能もあれば強い者に虐げられる自分を良しとしない自立心が遺伝子の中に組み込まれる。判官びいきや反戦や平和主義が人々を惹きつける。

強い者側に立つ傾向のある人と弱い者側に立つ傾向のある人が世の中にはいる。

遺伝子に組み込まれた本能の醸成は経験や知性は環境に影響されると最近思うようになった。反知性という社会現象を見てのことだ。平和とか反戦という普遍的な主張が知性によって育まれることに反発したのが反知性だ。


兼続が支える上杉家は当時なだれを打って徳川方についた諸藩とは違い劣勢明らかな豊臣方の味方となった。関ケ原で戦うことは無かったが、会津から追われ米沢の小藩に閉じ込められてしまう。


「義民が駆ける」はいつの時代にも権力の横暴があり最も犠牲になるのは民であることを知らしめる。山形庄内は裕福な藩であった。それは関ケ原以後この地を治めた酒井家の優れた藩政がもたらしたものだ。

ボクが藤沢周平館のあとに巡ったのは酒田の有力な商人本間家が遺した商家や遊郭、そして藩の礎を築いた藩校であった。酒田を訪れる人たちは庄内藩の民度の高さを藩校などの遺跡を訪ねて知ることになる。


江戸も後期になると幕政が緩み賄賂が横行した。大奥に何人もの側室がいた。徳川将軍に寵愛される側室に繋がる家が権力を握った。

川越藩は小藩であったが大奥に繋がりがあり、権力と賄賂を使って、裕福な庄内藩への移封を申し出た、幕府は策を弄して長岡藩を巻き込んだ
3藩の移封を決した。酒井家は1/3の藩になる覚悟もした。これには武士ばかりではなく農民も困惑した。

川越藩になれば搾取が厳しくなるのが目に見えていたからだ。何十万という農民が結集した。影では損得を抜きに本間家が動く。農民は嘆願書を持って江戸に向かう、

直訴は命を懸けた危険な懸けだ。農民たちは何組もの班に分け波のように次から次へと江戸に押し寄せる策を取った。幕府の決定を翻すことができるのか?


読者は戊辰戦争まで庄内藩が続いた結論をわかっていて読み続ける、経過を藤沢周平は詳しく描く。


強きになびくあゆ追従することのない生き方は損得で考えれば損な生き方である。


人は損得で考える時もある、ただ全てそれで動く人生はつまらない。


権力にあぐらをかく者、強き者になびき続ける者は知によって卑しい生き方だと退けられてしかるべきだ。作者は兼続の生き方を良しとした。ボクもまたそんな生き方に共感する。


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# by willfiji | 2018-11-02 15:40 | 読書 | Comments(0)

「虚空遍歴、上・下」(読書no.282)

虚空遍歴、上・下(著・山本周五郎)
 

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これで周五郎の長編を全て読んだことになる。「虚空遍歴」は周五郎晩年の作品、ますます上質な作品だった。


中藤沖也は侍出身の浄瑠璃語り、
10代の時から才能を見込まれ、習った常磐津から沖也節を創設する勢いだった。


沖也の唱が江戸中で歌われた。沖也の名声の後ろ盾には陰ながら上演を応援する岡本という料理茶屋の存在があった、沖也が岡本の娘、京を娶るのも自然の流れだった。


岡本に出入りする度に京は沖也の世話をし、沖也も気に入っていた。

京は聡明で美しく沖也節を起こす妻としてもふさわしい気性を備えていた。


沖也の周りには常磐津の人ばかりではなく歌舞伎役者や台本作家や座元の人たちが集った。

ある日、沖也は浄瑠璃を幼い時から共に学んだ生田半次郎から沖也節は岡本の後ろ盾があってのものと明かされる。

それなら自分だけの力で新作を世に出そうと試みる、沖也節は人生を知らない若者の唄という批判が耳に入る。


沖也には妥協を許さない侍の血か流れている、自立を目指した沖也は後ろ盾を無くし新しい芝居を上演する機会も失う、沖也は上方での公演で再起を図るために大阪へ旅立つ、京は別段止めることもなく旅費を用立て、その後の資金も送ることにする。


その時京のお腹には子が宿っていたが沖也は気にも止めず上方へ向かう。


上方芝居は実事、江戸芝居は荒事,と言われる。芝居の内容が違うのだ、上方芝居は人々の暮らしや心情を映したものが演ぜられる。一方戦国の英雄伝等の将が主役になるのが江戸芝居だ。文学で言えば周五郎は前者で司馬遼太郎は後者だ。


上方への旅で沖也は市井の人たちの生きざまに触れる、新たな沖也節の生みの苦しみが始まる、沖也は何度も病に伏す、今でいうストレスで胃の腑がやられ食欲がなくなる、痩せて体力も落ちていく。更に苦悩を和らげるために手にした酒が体を鞭打つ吐血するようにもなった。


病に苦しみながら街道を進む沖也をいつも助ける女人がいた。芸妓屋の娘、けいである。


けいは沖也の歌を初めて聞いた時から身に染みるただならぬものを感じ、芝居小屋へ通った、一度だけ沖也に引き合わされたことがあるが沖也は覚えていない。


けいは男好きのする自分の体を知り、何人かの旦那も持ったがその時は一人身、


沖也への思いは男と女のものではなく沖也の唱そのものへのあこがれだった。


旅の間に陰ながら援助をしていたがやがて沖也の知ることとなり、共に旅する二人となった。同部屋であっても関係を持つことはなかった。


上方に行き、新しい沖也節が上演されるに至ったが沖也はそれを壊してしまう。

沖也の武士の魂がいつも災いをもたらす。沖也は芝居が上演されている金沢をめざす.


沖也は人生経験を積む度に沖也節を更に深めなければと思い悩み酒を手にする。

思いは胃の腑を悪化させる。悩みながら三味線を手にする沖也にいつも寄り添うけい、

起きられない日が続いてもけいは献身的に看病する。


周五郎がつけた本題の「虚空遍歴」の世界が繰り広げられる。芸の道を究めるのは仏と同じ道を歩むようなものだ。


「苦しみつつ、尚働け、安住を求めるな、この世は巡礼である」。


対照的な愛の姿を周五郎は「京」と「けい」で描く。沖也の悩み以上に読者の心を捉える。


沖也の命が幾ばくも無いと思った時、けいは京に手紙で知らせる、京は急ぎ籠で北陸今庄をめざすが間に合わない。

けいに会って沖也の最後の時のことを聞いた時も取り乱すこともない。けいは沖也と男と女の関係は無かったと話すがどうでもいいことのように無視される.

けいの心はつぶれるほどの悲しさを覚える。周五郎の実事は円熟味を超えて愛の難解さをみせつける。


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# by willfiji | 2018-10-08 16:03 | 読書 | Comments(0)

「青べか物語」(読書no.281)

「青べか物語」 (著・山本周五郎)

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山本周五郎を読み続けている。「青べか物語」の評価は別格のものだがボクは未読だった。

読み進むうちにその特異性がわかった。著者は自分の文学は大衆文学ではないという理由で直木賞受賞を辞退したとか、では純文学か?と思ってみても「樅ノ木」も「さぶ」もそうとは言えない。疑問はこの「青べか」ではっきりした。まさに漱石のように書かれていた

時は昭和初期、浦粕という東京近郊の海辺の人たちに起こる日常を描いている。


著者は
25歳の一年間を浦安で過ごした。そして30年後この本を著した。2著者は貧乏なその日暮らしの若者だった。童話や短編を雑誌に載せわずかな原稿料で暮していた。海へそそぐ川岸でスケッチしたり本を読んだりしていたから街の人たちから先生と呼ばれた。

蒸気船が人々を運ぶ船乗りが住む街でもあった。漁船は近海の貝採りを生業にして仕分けする工場があった。貝殻を石灰にする工場もあってそこでは男も女も裸で働いていた。船着き場には居酒屋が並び、女給が酌もすれば春も売った。


東京から近く釣り船屋があって漁場を案内する船頭たちが雇われていた。恋があって愛があってちょっと破廉恥な日常があった。子供たちはマセていて男と女の行為を悪びれることなく大声で歌った。先生はその中でもインテリだったが25歳の若者でもあった。


「べか」とは小舟のこと、使い物にならなかった古い船を著者は買わされる、修理してもらって何とか浮かんだ。青いペンキで塗りなおしたから「青べか」と言う名前をつけた。


「青べか」を漕いで子供の遊び道具のような釣り竿でスズキやフナを釣りそれが貧しい食卓を飾った。


著者は時代小説作家と言われるがこの本は昭和初期のノンフィクションである。
30年経って著者はどんな思いでこの本を書いたのだろうかボクは当時の社会に引き込まれながらそんな考えに至った。

大家となった著者は若き日の自分に還ったのだと思う。その中に女の子が出てくる。きっと著者が恋した子だろう。著者は昭和
4263歳で他界する。あっという間の人生だった。


「上智と下愚は移らず」と言う言葉を著者は遺す。人は天才でもなければ愚人でもない。そのどちらでも無い中での人生がある。海辺の人たちを描いて、同じ人生なら上智をめざす人生を送るべきだと
30年経った著者は言いたかったのではないだろうか。


著者自身が若者に戻ったらその後どんな人生を送ったかを考えたのかも知れない。

読書はいつも自分の中にある心情を理解させてくれる、大衆文学でも純文学でもそれはかわらない。


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# by willfiji | 2018-09-14 16:00 | 読書 | Comments(0)