「見残しの塔」‣「禊の塔」 (著-久木綾子)
「見残しの塔」は周防と言われた山口県の、「禊の塔」は山形県出羽三山羽黒山の、今に残る五重塔を題材にした職人たちの物語。この「見残しの塔」で著者は89歳でデビューした。
専業主婦だったがご主人が亡くなってこの書を著した、驚愕の小説だ。年老いても好奇心から得る著者の造けいの深さに敬意を感じながら読み進んだ、物語以上に著者の思いが心に響く。
「見残しの塔」は九州日向の山村から宮大工の修行の旅に出た若者と今の富山県若狭から故あって逃避した姉妹が周防に建立される五重塔を通して出会い、それぞれの縁を描いていく。
姉妹は新田源氏の血を継ぐ者で若者は平家落ち武者の子孫あった。室町足利幕府の中にあって九州北部から中国西部に勢力があった大内氏が建立の主であった。
「禊の塔」は偶然にも昨年の秋同期旅行で訪れた山形の地、羽黒山に行き五重塔を前に山岳信仰の姿を目の当たりにした、その五重塔の物語だった。事前に読んでおけばと悔やみはしたが、茅葺の屋根が再び画像となって浮かび、思い出がより彩られた。
89歳の女性が綴ると若者の恋愛は純愛になる。著者は二つの小説中に複数の男女を登場させる。男は仕事に生きがいをみつけ、青春の中で幼馴染の女性に惹かれながら自分の道を進んでいく、女性の方が早生で男たちを悩ます。
著者はきっと自分ができなかった若い日の生き方をこの女性たちに託したのだろう。老齢になっての小説がより若々しいのはそのせいかもしれない。
著者は新田源氏の血を継ぐ人である。時代が流転して人が消えてもその姿を残す美しい塔を「み残しの塔」と名付けた。人生は「美残しも」「見残し」もある。
その姿を見た人間には「美残し」だが巡り合えなかった者には、この世に思いを残す「見残し」だ。
源氏と平家の争い、室町幕府、戦国時代を経て江戸幕府、近代国家になり世界大戦があって今に続く、神仏は時の権力によって様々な立場を取る。歴史を捻じ曲げれば日本の美しい神社が汚される。
知的好奇心を満たす書に出会えば日本各地の寺院仏閣をめぐった時、宮大工の匠の技に建物に込めた日本文化の本流を組み取ることができる。
若い時に報道の仕事をして結婚後は専業主婦、夫に先立たれてから小説家、その小説に著者が知的に生きてきた証がある。人生とはこうありたいものだ。