「村上海賊の娘・上・下」 (著・和田竜)
少し前のベストセラー、友人との話題から読みたい本だと思い出した。
織田信長が天下に大手をかける中で障害になったのはその時一向宗と言われた浄土真宗門徒との戦いだった。
本山の大阪本願寺が今の大阪城にあった。その天恵の地の築城を目論んだ信長が譲渡を要求したが本願寺は譲らない、門徒らは籠城戦を選んだ。
信長は兵站を断つべく周りをいくつも砦で囲む。本願寺は諸国に使者を出し、信長に反旗を翻す同盟軍を募る、北の上杉と毛利が参戦に動くがどちらの行動にも迷いがあって遅い。
本願寺門徒の食料はわずかとなり毛利家からの兵糧が敵陣を突破して届かなければ飢え死には必然だった。
浪速の海に毛利の船団が現れる。物語は海賊の戦いで幕をあける。
主人公は毛利家管轄の能島を拠点とする村上海賊の娘、景である。
村上海賊はその昔倭寇として恐れられた系譜があった。
行き交う船舶から金品を徴収しその地の航行を許可し護衛することを生業としていた。
海戦に強い兵と瀬戸内海の複雑な潮の流れを知り尽くした漕ぎ手を擁した船団を持っていた。毛利家が兵糧を運ぶにはこの村上海賊の働きがなにより必要であった。
海にはロマンがある、書は詳細な歴史書の史実を元にしながら、破天荒な景が海戦に臨む姿を劇画的に描き出す。その文脈は漫画のようで何ページにも及ぶ記述は食傷気味にもなる。スマホゲームに夢中になる人によってこの本はベストセラーになったのかと思いながら読み進む。そのことを除けばこの本には史実をもとにした奥深い内容を伴っている。
武士に比べたたら非力な門徒たちが何故あのような力を発揮したのか。
宗祖親鸞は「南無阿弥陀仏」を唱えれば誰でも浄土に行けると教えた。
この時本願寺は進んで戦えば極楽に行けるという「進者往生極楽」と言う旗を立てた。
門徒は「念ずれば浄土」という教えとは違う御旗によって扇動され武士と壮絶に戦った。
もちろん親鸞の教えではない。
神仏は人間に英知を教えるが権力がいつも利用する。イスラム国は言うに及ばず、日本も皇国史観を生んだ神道がある。今、神社本庁がs回帰の方向にあることは危険な兆候であり、公明党の最近の言動を日蓮はどのように感じるのか聞いてみたい気がする。
いずれも神仏の道から外れている。
村上海賊の娘景は扇動される信者を救うため一騎当千の活躍をする。織田でもなく毛利でもない、純な信者の気持ちに心打たれたからだ。
青臭く漫画的なのかも知れないが、正義の味方が愛される世界はまだ救われるとの神仏の教えは普遍の真理に他ならない。