「草枕」(著・夏目漱石)
あまりにも有名な出だしの文である。
「山路を登りながらこう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」
このお正月に何か心に響く古典が読みたいと思った時、ふとこの文章が頭をよぎった。
漱石の本を初めに読みふけったのは高校時代だった。代表的な本は全て読んだ。
「ぼっちゃん」や「三四郎」は面白かったが「吾輩は猫である」はわからなかった。
当時尊敬する先生がNHKの「中学生時代」という番組の脚本を書いていた事もあって、担任ではなかったが文学や芸術について課外で色んなことを教えてくれた。
月1回は民芸や俳優座の芝居も観た。そんな中で漱石をボクはきっと
背伸びして読んでいたのだと思う。そして40代の時に
もう一度読んだのは「心」と「それから」とこの「草枕」だった。
あれから20年が過ぎて手にしたのが草枕だ。人には誰も一人旅をしたい時があるものだ。海の見える鄙びた温泉に行って、何も考えずに非人情の時を過ごすことができたらいい。
日露戦争が始まって世の中が騒がしくなった時、漱石の反戦は旅の中の出来事だったのだろう、田舎であっても様々な日常が漱石の前に立ちはだかる。
「坊ちゃん」と同じように
余という主人公の画工は旅の僧侶の卓越は持たなかった。
誰だって一人旅して逗留した宿に出戻りの美しい人がいれば、無と考える僧にはなれぬはずだ。
那美さんが登場する。事業に失敗した那美さんの元夫も兵隊に志願した従兄弟も別々だが満州に行く、「
帰ってくるな」と言う見送りの人たち、画工の心で漱石の思いが伝わる。
読後文に残しておきたい処がある。高校生のボクがどんな気持ちで読んだのか思い出せないが懐かしい。それは温泉に画工が浸かっていた時、那美さんが
入ってくるシーンだ。
「余は女と二人、この風呂場の中にあることを覚った。注意をしたものかせぬものかの間に女の形は遺憾なく余が前に早くも現れた。みなぎりの渡る湯けむりの、やわらかな光線を一分子ごとに含んで、薄紅の暖かに見える奥にただよわす黒髪を雲と流してあらん限りの背丈をすらりとした女の姿を見た時は
礼儀の、作法の、風紀のという感じはことごとく、わが脳裏を去って、ただひたすらに、うつくしい画題を見出し得たとのみ思った。」
このブログは
備忘録でもある。
この文章がボクを非人情の旅に連れ出す日はあるのだろうか。