「犬はきらい?わたしを変えたダメ犬サーシャの物語」 (著・エミリー・ヨッへ)
愛犬家なら誰でもその題名につられて気がつけば手に取っている本だ。
主婦でありライターである著者がアメリカの普通の家庭で犬と暮らすその日常を書いている。ライター独自の言い回しやアメリカ的なユーモアに無理に付き合って幾ページも読む努力が必要だが我が犬を思う気持ちは同じ、宝物であることに変わりはない。
ライターという職業を活かして、ペット先進国の犬事情がよくわかる。
初めてボクがアメリカへ行ったのは何十年も前の米国小売業視察だった。
「日本のペットショップと違うのは?」と講師の先生から課題が与えられ、既に大規模チェーンに成長した「ペットコ」に足を踏み入れた。天井まで高く積み上げられたペットフード、綺麗に連なって配列されたトイレタリー、あらゆる種類のおもちゃ、日本では獣医からしか手に入れられないフィラリア予防薬等に圧倒された。
値段はポピュラープライス。
そこで課題の答えが見つかった
「犬がいない」のだ。
日本では生体を売るがアメリカでは店頭陳列は禁止されていて犬は専門のブリーダーか犬の保護センターから手に入れるようになっていた。
本のサーシャはビーグルの保護団体から著者が譲り受けた犬だった。ブリーダーが犬種別なのはわかるが保護団体もとは驚いた。何十年か前に見た、
ペットコの大きさが蘇った。
犬のイベン卜が各地で行われ、アジリティー競技の訓練は順番待ち、ビーグルはこの競技に向かない犬種だと入れてももらえない等、ここでもアメリカだなと思わせる。
「自己責任」の考え方も徹底されていて
何でも「禁止」の日本とは違う。
ノーリードできる犬、できない犬は飼い主に任され、優秀なドッグトレーナーはひっぱりだこ。
犬が危害をあたえた時の責任は計り知れないから
飼い主はその前にしつけをする。
州によって違いはあるようだが、「自由と責任」 の考え方が根本にある。
「お巡りさんに叱られるから悪い事をしてはいけない」のではなくて、悪い事は他者を傷つけることだと責任の基本を教え後は
自由だと制約をしない。
この本はそんなことまで思い出させてくれた犬大好き人間がうなずける本だった。