「武士」という言葉にはかっこよさがあるが、「商人」という言葉にはそれはない。
士農工商という身分制度で商が一番下というDNAが日本人に生きている気もする。
昨夜、恒例となった僕がバイヤーだった時の先輩、後輩とその時から取引先で今、顧問をしている会社の社長との飲み会があった。
僕がバイヤーになることにあこがれて入社した企業は、「消費者に代わって商品を作り、生産者に代わって商品を売り日本を豊かにする」という、チェーンストア理念である武士道と同様の商人道といわれた心を持っていた企業だった。
バイヤー時代の先輩、後輩。仕事が誇りだった!
「正しきことをやりて、滅びてもよし、
断じて滅びず」というかっこいい精神があった。
取引先との関係も優位な立場を利用することもなく対等で、
共に成長するという信頼関係が築かれていて、ひたすら消費者志向で行動した。発注したものは必ず引き取る。リスクを持って売り切るからコストが抑えられ、お客様に買いやすい価格で提供することができ、多くの人に豊かさを提供することになる。社会に貢献できるから仕事が生きがいだった。
製造小売といわれるようになったこの業態で働くことが誇りだった。
商人は武士にはなれないのだろうか?
売上が厳しくなると「貧すれば鈍ず」(貧しいと、生活苦に煩わされることが多くなり、才気や高潔さが失われてしまう ものである)となり、高貴な理念は退けられる。
商品価格こそ、その企業理念が反映される。
頻繁な値下げや、売上狙いの「訳ありセール」の乱発は、お客様の信頼を失う。そんな事は火を見るより明らかだ。
「武士は食わねど高ようじ」という言葉もある。(武士は、貧しさで物が食えなくても、満腹を装って楊枝を使うものだということ。武士は 生活に窮(きゅう)しても不義を行わない)お腹が空いてもプライドを失う方がみじめだ。
僕達が誇りに思った企業に戻って欲しいと思う気持ちは先輩後輩、今も変わりはないと思う。
【飲んだ黒糖酒には「田中一村」という奄美で一生を過ごした東山魁夷と机を共にした画家が描いたラベルがついている。死後世にでたから日本のゴーギャンと言われる】。そんなことを教えてくれるのもバイヤー時代の仲間だ。