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空のように、海のように♪


パピヨンパパの思うこと
by willfiji
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音楽と社会・バレンボイム/サイード(読書no.481)

「音楽と社会・バレンボイム/サイード」(編・A グゼミリアン)(読書no.481

音楽と社会・バレンボイム/サイード(読書no.481)_a0199552_10340009.jpg

イスラエルのガザ地区における戦禍は虐殺であって一刻も早く止めなければならないが人新世に生きる人類にその術は見出されていない。


この理不尽を前にしてイスラエル人のバレンボイムとパレスチナ人のサイードが語り合う言葉が心に響く。

世界的指揮者であるバレンボイムはアルゼンチンで生まれ祖父母はロシア系ユダヤ人、イスラエルで育ち成人してからヨーロッパで暮らす。

かたやサイードはエルサレム生まれカイロ育ち、ニューヨークに住むパレスチナ人、コロンビア大学、比較文学教授、音楽に対しての造詣も深い。

彼らはイスラエルとアラブの若い音楽家たちが一緒に音楽を学びドイツ音楽家を交え音楽を作りコンサートを開催している。

この本はバレンボイムとサイードの10年に渡る交流が育んだ二人の語りが書かれる。

ふたりは複雑なふたりの育った異なった文化的背景は相反(パラドクス)ではなく、相似(パラレル)の関係にあるとして「違った考えがあるということが互いに承認されているなら全員の意見が一致すると必要があるとは思わないし相反と相似は矛盾しない」という基本的認識を共有する。

政治家はネールやマンデラのようにヴィジョンを持ちそれを実行する能力を持った存在であるべきだが、今、世界の政治家の誰一人期待する政治家がいないのが現実だ。

ふたりは「それが叶わないなら政治家は妥協する技を身につけてこそ良い仕事をすべき」と彼らが興味を持つのは「目先の目標」だとその根拠を示す。

一方、彼らが理不尽な世界の中で光明を見出したのは知識人や芸術家の存在であり、肝心なのは「理想であり妥協しないこと」だと音楽と社会の関係から理想の姿を説き明かす。


彼らが語る音楽は難解であって年に一度だけウィーンフィルのニューイヤーコンサートを聴くことぐらいしか見識がないボクのわずかな知識でついていけないものでもあったが知らない世界は逆に制約無い広がりがあり多くのことを学ぶことができた。

音楽の芸術性は社会の在り様にも似て理想の道を各自に導く。

・詩や文学を理解するにはその言葉を知らなければならないが音楽はその必要がない。ドイツ語やフランス語を知らなくてもドイツやフランスの音楽を理解できる。

・同じ川でも流れる水は違う、それが音楽。ベートーベンの音楽は同じ譜面でも奏でる奏者によっても指揮者によっても違う音楽になる。

・譜面でフォルテやピアノが示されてもバイオリンとファゴット、ティンパニーはそれぞれパートが思い通りにフォルテやピアノで奏でることによって成り立つ。

・オーケストラの演奏はその時その場だけの音楽であって同一のものは存在しない。


これらがパラレル(相似)という意味を示しているのだ。

バレンボイルは「ベートーベンを指揮するときはドイツ人、ヴェルディーを指揮するときはイタリア人、民主的な社会に暮らす方法を学びたいならオーケストラで演奏するのがよい、自分が先導するときと追従するとき時がわかる。他の人たちに場所を残しながら同時に自分を主張することは一向にかまわない」と語る。

2人のワグナーの曲の演奏についての象徴的会話がある。


ワグナーは偉大な音楽家であったがナチスドイツの支持者であってヒットラーはワグナーを利用して国民を先導した。ユダヤ人がガス室に送られる時ワグナーの序曲が流れた。


そのワグナーをイスラエルでバレンボイムがコンサート選曲した時の話だ。

バレンボイムはドイツで常に行われるワグナーの演奏会をベートーベンと同様に開催していた。もちろんワグナーとナチスの関係を知った上で。

イスラエルでワグナーは禁断の人だった。バレンボイムはアンコール曲としてワグナーを選びその時、聴衆に問いた。「帰りたい人は帰ってください」と。

多くの聴衆は残り、コンサートは大喝采に包まれのだが、その後、多方面からバレンボイムバッシングが始まった。これは何を意味するのか?

サイードは文学者と音楽家の違いを言明する。


音楽そのものに思想性はないが文字となった時その差異が明確になる。

イスラエルによるジェノサイトを今目前にしてボクはイスラエルネタニエフ首相にワグナーを聴いて欲しいと願う。

バレンボイムとサイードは人は聞くだけではなく耳を傾ける能力を持たねばならないと,芸術と政治の相似を示す。「hearではなくlisten」。

我が国、岸田首相は「聞く力」が自分の能力だとアピールしたが民の声を聞いているとは思えない姿勢が露呈している。

Listenは同じ譜面で奏でる奏者をパラレルと視る力だとこの本は教える。ひとりひとりがオーケストラ奏者だと日本国民は思うことができるだろうか?民主主義が壊れない日々を望むばかりだ。



# by willfiji | 2024-03-10 10:53 | 動物 | Comments(0)

永田町動物園

「永田町動物園」(著・亀井静香)(読書no.480)日本をダメにした101

永田町動物園_a0199552_11091412.gif
同期会の新年会で友からもらったこの本、知ってはいたが自分で手に入れる気はなかった。


著者は良いことも言うが基本的にボクのスタンスとは違う人、警察官僚出身から来るイメージから高慢な態度が上から目線に写っていた。

読んでみるとなかなか面白い。偏見だったと反省。


ボクはリベラルだと自覚している。保守であっても筋が通り弱者に味方する人とは意見が一致することも多い、一水会がそんな例だが亀井静香も弱い人に味方する。

彼の優れた点はボクよりもその許容範囲が広いということ。共産党の志位さんを合意点が多いと認め自社さ政権では村山富市を首相にした。社会党世田谷区長保坂さんを高く評価し、民主党政権にも加わった実績がそれを裏付ける。


亀井静香の清濁併せ持つ姿勢は「政治が政策ではなく、まず大多数を得ることから始まる」という権力を握ることが優先で権力を握れば自分のやりたいことができるという考えだ。

うなずける面もあるが「やりたいことよりも権力を取る事が目的になる」と清濁の濁には賛成できない。


読んでいると「悪しき昭和」が沢山でてくる。金丸さんは400万円ポンと出したが中曽根さんは100万しか出さなかった、とか「金の事は心配するな」と新人議員を応援したとか、今話題の政治資金違反は日常茶飯事で政治家がタニマチから支援を受けるのは当たり前だと記述する。


101人はいろんな考えの人がいて全て同じという人はいない。

だから101人という人脈を著者は持った。もちろん101人の評価はまちまちで濃淡がある。


著者の褒める人、貶す人の基準は著者独自のもの。


著者とボクの一致点は多い。死刑廃止、弱者救済、富の偏在是正、安保法制は法律違反、等だ。


意見が違うのは、元首としての天皇、日米安保破棄して自国防衛強化、先祖を敬う土俗の思想教育、夫婦別姓反対、等だ。


人は100人いれば100通りの考え方がある。異なる点を殊更さらけ出せば人と人との関係は悪くなる。だからといって異なることに触れず自分の意見を言わないことで関係を築けばその関係はうわべだけのものになり追従とも受け止められることになる。

とかくこの世は住みにくいのだ。


ボクは唯々諾々を最も嫌う。自分自身の考えを持つべきだと思う。

残念なのは分断だ。トランプ登場でアメリカ、日本も安倍政権の「あんな人たち」

で分断が進んだ。意見の異なる人は入れないというもの、これは独裁であって専制だ。


人は仲間外れにされないために沈黙する。特に政治の話はしない、無関心になる。

「民主主義の敵は無関心、愛の反対は憎悪でなく無関心」。心すべき言葉だ。


人は多様な意見を持つと認めるのが民主主義、その上でボクが認めないのは差別や暴力。

多様性といってヘイトクライムを認めることは民主主義ではない。自由を束縛する自由はないと考えれば分かりやすい。日本すごいはいいが中国だって韓国だって誇るべき歴史がある。そして人類は共存の道を探って進化してきたという事。人類同志で殺しあうことがあってはならない。


「憎しみの連鎖は耐え難い理不尽の発露」だがそこはじっと我慢することが神が与えた人類への課題ではないだろうか。


「ヘイトしない!暴力を否定する!」その上でそれぞれの主張を尊重する。それこそが「分断」に対抗する民主主義だ。


合い入れないと思っていた亀井静香と「死刑廃止」で一致した。

友人に感謝だ。



# by willfiji | 2024-03-02 11:12 | 読書 | Comments(0)

「人を動かすナラティブ」(読書no.479)

「人を動かすナラティブ」(著・大治朋子)(読書no.479

なぜ、あの「語り」にまどわされるか。

「人を動かすナラティブ」(読書no.479)_a0199552_09513021.jpg
著者は毎日新聞編集委員、オックスフォード元客員研究員など海外経験も豊富で今さかんに言葉にされる「ナラティブ」の持つ深い意味を本書で著す。


著者の記事が心を打った。


それはハマスに息子を殺害されたイスラエル人の父親のパレスチナ人とイスラエル人の憎しみの連鎖を断つ言動だった。「息子はパレスチナとイスラエルが平和だったら死ぬことはなかった」と運動の輪をひろげている。息子が殺された時、集まったイスラエル人たちは口々にパレスチナをせん滅せよと憎悪を口にした。その時、父親は楔を打ったのだ。


父親の言葉に逆らう人はいないだろうが世界は憎しみ連鎖が蔓延いている。平和を導くものも憎しみを増幅させるのも著者は「ナラティブ」だとこの本を著した。

ナラティブとは物語ことで「経験や事象を過去や現在、未来といった時間軸で並べ意味づけしたり他者との関わりの中で社会性を含んだりする表現だ」。


トランプ支持者が陰謀論に支配されていることは不思議だと思うがアメリカ国民の30%が陰謀論を信じている現実がある。日本も嘘を貫き通した安倍元首相の国葬に賛成した人も少なくない。


安倍氏やトランプ氏を支持した人たちは彼らのナラティブをなぜ受け入れたのか著者は養老孟司さんとのインタビューで真実を追求することや歴史を学ぶのは大変で「脳は省エネ」だと冒頭に記す。

トランプの演説は常に「被害者物語」であり支持者はそこに自分を重ねて魅せられる。


優遇されてきた人ほど地位凋落に敏感で欧米社会を圧巻しているのが排外主義的ナラティブ。安倍氏を支持したネトウヨ的な人々のナラティブは必ずしも厚遇されているわけでもないのにSNSなどで国家を憂え憂国の士である自分に酔いしれている。

移民や外集団を区別して内向きになる人は差別をあおるナラティブに対しても魅せられやすくなる。

ナチスドイツは自分たちと同じ民族に偏狭な共感を向け、ユダヤ人を人とみなさない非人間化が行われた。

全体主義や排外主義といったナラティブに魅せられた自分で考えることを止めた人たち。従順で同調するのが上手く、権威に弱くて心のすき間を埋めてくれる権力者にはとことん追従する。私たちの社会はそんな人間を大量生産しているのではないかと著者は警告する。

統一教会の問題も献金の違法性ばかりではなく自民右派の主張と親和性が高い点にある。男は男らしく女は女らしく家族は協力して家庭を守り、父親を家長として敬い妻は父母に尽くす。家族は国家のためにある。

一見良い教えのようだが現代社会においては極めて問題の多いものだ。

そこには人権という視点が欠けている。移民やLGBTQ、夫婦別姓から女性天皇に至るまで右派的ナラティブは「人権」は存在しないかのようだ。

人間にとって重要なアイデンティティ―は人生物語りであり人生のまとまりや目的、意味を伝える個人的な神話で著者はセルフナラティブづくりが有用だとする。

フィクションを多く読んだ人はノンフィクションを多く読んだ人より共感能力や他者の心を想像する力が高い傾向にある。

ナラティブの処理には右脳と左脳を使う。情動や気持ちが入っているから高度な作業だ。脳の活動箇所では自身が感じる部分と他者を思う共感を感じる部分は同じ。

共感力は遺伝とその人が独自に経験する環境要因による。

読書は他者のナラティブから別の視点を得たり、さまざまな視点からその内容を教わるメタ(高次)認知的作業である。

読書感想文は人間が生涯をかけて続ける他者のナラティブを自分のナラティブへ再構築し他者へ伝達するというナラティブ、循環サイクルの枠組みを築くことにつながる。


読書はジグゾーパズルを見つける作業である。

ボクが最も納得したのは共感力の重要性で読書こそ共感力を高めるとの言及だ。

更にうれしいことに読書感想文のおすすめがあったことは特筆に値する。

我田引水で満ちているこの読書ブログだが続けていこうと意を改にした。



# by willfiji | 2024-02-23 11:29 | 読書 | Comments(0)

勝海舟(読書no.475)

「勝海舟」(著・松浦玲)(読書no.475

勝海舟(読書no.475)_a0199552_11013848.jpg

知れば知るほど明治維新は複雑だ。

明治維新の中で西郷隆盛とともにボクの中で惹かれていた勝海舟を読み解くための本書は資料を含め900ページにも及ぶ。


維新の志士たちとの書簡や建白書、瓦版から公報や新聞など数千以上の資料から勝海舟の言葉を拾い史実を著したこの本はまさに圧巻。


幕末から日露戦争直前までの勝海舟の生涯の姿を浮かび上がらせる。


勝海舟は旗本小普請組の家に1823年に生れ、免許皆伝の剣術、禅を学び、家督を16歳で継ぐと蘭学を学び私塾を開く。その才能が認められて幕府の長崎伝習所の教官となり地位を築く。


海舟は幕府方でありながら新政府にも重用された。敗者の身が勝者の中で生き残るのは一般的には変節とかへつらい、機を見るに敏だとされボクが最も嫌うタイプだが海舟には歴史を視る柔軟性(レジリエンス)を感じるものがあった。


海舟はセンセーショナルな「鳥羽伏見や戊辰戦争」の戦乱の中にいたことはない。


勝海舟の動向に歴史の本道があるとボクは思う。


明治維新を官軍対幕府と劇的にとらえるのは国体維持のためであったからだ。

維新の志士を偉人とし、国のため=天皇のために血を流した英雄と訴えることによって、富国強兵を国民に根付かせる新政府のプロパガンダは太平洋戦争の起因となった。敗戦によって消滅したかにみえたがナショナリズムの拠り所として今に至っている。

ペリー来航に象徴されるように日本が開国を迫られる状況で幕府はオランダに軍艦を発注した。オランダから将兵訓練必要性を教えられ海舟はオランダ語を学び島津斉彬や幕府要人と知遇する。海舟は佐久間象山の義弟(象山は吉田松陰の密行失敗によって連座された)。


そんな薩長と幕府とのつながりが海舟の道を定めた。オランダから艦長心得を学んだ海舟は1860年海臨丸艦長としてサンフランシスコに渡航する。


一般には幕府は開港やむなし、薩長は尊王攘夷ととらえがちだが攘夷にこだわったのは幕末の天皇である光明天皇だった。薩長は英仏との戦争に敗れてから方針を転じる。


斉彬を引き継いだ島津久光は積極外交、積極通商。ちなみに新選組は積極攘夷論だ。

そんな複雑な状況下で海舟は本道を見極める。それは江戸城無血開城に繋がる。


西郷との合意は海舟の示した「公」の正義だった。大政奉還は「公」、王政復古は「私」のクーデター。東征軍は正義の軍隊ではないが避戦に徹することが大政奉還の「公」を実現する道というもの。


海舟のこの「公」と「私」の考えが日本の本流にあれば太平洋戦争は回避できたのではないかとボクは思う。


海舟は日本が脱亜入欧路線を走り日清戦争に至った時も清国対等、不折り合いを戒め

戦争は軍人の仕事だが講和は内閣大臣の決断、機を失わず勇断せよと求めた。


日清戦争後のロシア、ドイツ、フランスの三国干渉の遼東半島放棄を受け入れ、新領土台湾及び補償金も受け取らず、鉄道を作って満州から良港に資源を運び東洋の隆盛をはかれと建白した。


新政府の中で海舟は長老として遇されたが主流である薩長土肥藩閥とは距離を置き建白書は「公」を説いたが国の行先を変えるものにはならなかった。


日本は日清・日露の戦争に勝利したのだろうか?日清から太平洋戦争までの戦争で日本は敗れたと考える方が妥当だとボクは思う。


「公」は時として「私」を犠牲にしたものとして描かれる。


海舟の「公」は正義であり、「私」は個人の私ではなく権力の私物化であることを踏まえることが肝要だ。


靖国に祀られた戦争の犠牲者は国のために命を失ったのではなく国家権力によって他国で戦い貴い命を失ったということを我々は冷静に知る必要がある。


敗戦が必至となった戦場に特攻隊に行かなければならなかった学徒の死を無駄死にしないためには彼らを神として祀るのでなく。


その無念さを想像する感性を磨くことが歴史から学ぶという智への誘いではないかと思う。



# by willfiji | 2024-02-18 11:06 | 読書 | Comments(0)

断絶の世紀 証言の時代(読書no.474)

「断絶の世紀 証言の時代」(著・徐京植・高橋哲哉)(読書no.474

戦争の記憶をめぐる対話

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2.3年前まで日韓関係は最悪と言われた。

最近、韓国を嫌いだという日本人が少なくなって良好な関係になってきた。

原因は韓国の政権が変わったからだ。


日本人の意識は変わったが韓国人の日本に対する意識はあまり変わらないという。

政権によって左右される好き嫌いではなく根本にある問題を解決しないことによる「断絶」が問題だと本は指摘する。

憲法を改憲しようという動きがある。

日本を守るという主張だが改憲の中心になる人は日本の戦争は正しく慰安婦や徴用工もなかったとして日韓の和解を遠ざけている人でもある。

根本を解決できない人たちだといえる。

根本の問題を解決することが平和憲法を簡単に改(壊)憲させないことにもつながる。

そのために以下ボクの心に刻まれた二人の「ことば」を特筆する。

1991年慰安婦として名乗り出る人が現れた。

1996年慰安婦関連記事の削減を要求する新しい歴史教科書をつくる会が発足。戦争の記憶は否認、抹消、隠蔽という暴力にさらされた。街にヘイト本があふれる。

戦後の高度成長時代を生きてきた普通の日本人の普通さが潜在的な否定論を含みそこに断絶が起きる。

戦争中の日本軍の残虐行為や植民地における迫害行為はまさか自分の父や祖父の世代の日本人がそんなことをするのは想像できないと考える人がいても仕方がない面がある。

いつまでも加害者として名指し続けられるのかと被害者側が指弾される実体もある。

日本の否定論は証人を人間として認めない人種差別意識の現われで「慰安婦さん日本のために働いてくれてありがとう」という漫画が人気を呼ぶ事象は被害者の神経を逆なでするもので多くの日本人がそのままに受け取る姿は証人たちをもう一度殺している行為ではないか。

慰安婦や徴用工の問題を過去の克服という言葉で退けるのは過去にけりをつけて新しい時代に入っていこうとする暴力。

靖国参拝は300万国民の犬死論から発する。靖国は2000万のアジア死者を哀悼の対象にしていない。犬死論はなぜ戦争で死んだのかをあいまいにして無意味な弔いを装う。あの戦争が侵略戦争であったという本質的な意味を抜き取ることでしかない。

アジアで侵略行為中に死んだ将兵が自分たちを守って死んだ死者になってしまうのはおかしい。

学徒出陣は最終局面だから被害者意識が強いからその運命の不条理を祖国のために死ぬという美学によって納得させようというもの。

被害者と加害者という基本的ジャッジメントをゆるがしてはならない。個々人のかけがえのない死を個々に深く悼むことが死の意味づけを国家が独占することの抵抗になる。

ジャッジメントを行う時は可能な限り他者の立場に自分を置くという想像力が必要。

日本の参政権のある日本国民は戦後生まれであっても戦争責任に対して応答責任がある。

日韓条約で法的決着したと思っていたものでも歴史は常に再審されるもので他者に開かれている。

いつまで保障が求められるのかという人は自分たちがやってきた非人間的行為が反転して自分たちに向けられるという本能的な恐怖が認められる。

日本は正義を揶揄し冷笑することがブームになっている珍しい社会。

アポリア(難問)に対してオルナティブ(代替え措置)で答えられる社会。

ナラティブ(語り手によってストーリーが違う)正義という基準線が必要になる。

正義という尺度でつながるという理念を持たないかぎり断絶を超えられないと両者の意見は一致する。夢想を捨てるわけにはいかない。



# by willfiji | 2024-01-28 19:05 | 読書 | Comments(0)