空のように、海のように♪


パピヨンパパの思うこと
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「海とジイ」(読書no.296)

「海とジイ」 (著・藤岡陽子)
人生は短い、今日一日を限界まで生きろ。

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ゆっくりした日常を描いた本を読みたかった。題名のジイという言葉が気に入った。


「明日は思うほど悪くはない」本の中で見つけた言葉がジイにつながる。


ボクが
90歳になった時、明日は思うほど悪くないと言えるだろうか。そして今は?これからこの言葉を持って生きればいいとも思う。 
ジイになる身がいぶし銀のようになるかもしれない。


物語は瀬戸内の島に関わる
3つの物語で構成される。
どこにもありそうな家族の話が胸を打つ。不登校になった小学生が島のジイに会いにいく話。医師が老齢になって閉院を迎えた医院に努めていた中年女性看護師とその医師のジイとの話。足を手術してランナーとしてスポーツ推薦を辞退することになった孫がジイの住む島でジイの昔話を聞く話。


3
人のジイの生き方はそれぞれであって失敗も成功もあった。あの時ああしておけばよかったというものではない。こうなったことをジイは悔いていない。ありのままに受け入れる。3人とも一生懸命生きてきてジイとなって孤独というより孤高と言った方がいい暮らし方をしている。


ジイというのは余裕のある言葉に感じる。無責任というほどでもないが責任が遠のく響きがある。温かな包容力のある言葉だ。


ジイは何でも許すわけではない。信念があってそれさえ侵さなければ許す好々爺でもある。


ボクはリタイアして直ぐ犬を飼った。我が家では
3頭目の3だ。1頭目が亡くなってから2年経って飼った2頭目の次男がまだ健在だった。

長男、次男は訓練所に入れてしつけをきっちりしたそれなりに優秀な犬として育てた。特に次男はとてもいい子だった。

いい子過ぎた面がどこかにあった。リタイアした時迎えた3男はボクが育てた。ボクは生涯教育で家庭犬教育者の資格を持っている。3男はもともと超活発な性格を持っていた。


犬の訓練をオビエンスという。オビエンスは服従という意味がある。そこに違和感を覚えた。教育だってプラクティス(訓練)よりラーニング(学習)と言われる時代だ。犬にとってのラーニングを考えて
3男を育てた。

優等生にはならなかったが活発さはそのままで人を噛むようなことは絶対しない犬に育った。ボクが思っていた犬に育った。その育て方をジイの育て方だと思ったのはいつの日だっただろう。
3頭の犬を知っているワンコ仲間はジイの育て方そだと笑ってる。


ジイとはいい言葉だ。子供がいないから孫からジイと呼ばれることもないが

「明日は思うほど悪くない」と思うジイにはなれそうな気がする。



# by willfiji | 2019-01-19 13:17 | 読書 | Comments(0)

「日本オオカミの最後」(読書no295)

日本オオカミの最後」 (著・遠藤公男) 

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ニホンオオカミが最後に見つかったのは明治38年、その後絶滅したとされる。


残念なのは生きた姿の写真が一枚も残っていないこと。標本は日本に
3体しかない。

いずれも貧弱でその姿を代表するものでもない。海外にも2体あるが完全なものではない。


二ホンオオカミがユーラシア大陸に棲むタイリクオオカミの亜種だと解ったのはつい最近のこと平成
26DNA検査によってだ。


既に絶滅しているとされるオオカミを探し歩いた著者は
85の今この本を書いた。


岩手県に在住の著者はそこに住んでいたオオカミについて明治時代の記録を調べる。


オオカミは害獣とされ捕らえた者に金銭が与えられた。その金額は年収を超えることもあって何処の誰がどんな方法で捕らえたかが記述されていた。

著者はその住所と名前から親族ひとりひとりを探し出し昔話を聞き込む。同じ苗字の人も多い中既に孫世代以後になった今、見つからなかった人が多かったが何人かは捕獲者が祖父や曾祖父に当たる人がいた。オオカミの話はその中でもわずかだったが土地の名前と同じように歴史が語り継がれたものもあってオオカミの姿が想像された

その土地の中に遠野がある。柳田邦男の遠野物語の地だ。日本民俗学の一翼を担ったこの地が著者のフィールドワークの地になったのは何かの因縁であろうか?オオカミにまつわる昔話は遠野物語にもあって、明治前まではオオカミは人間と共存していた。オオカミはその名の通り神の使いでもあった。


イヌが人間のパートナーになったのは日本では1万年前の縄文時代からだ。人間はオオカミの子供を育ててそばに置き大事な食料を狙う動物に備えた。最初は獰猛だったオオカミはやがて人慣れする家イヌに進化していく。オオカミは神様になった。

明治時代に入って富国強兵政策がオオカミを悪役に仕立てる、特に岩手県は軍馬南部馬の産地で南部馬の畜産が盛んだった。同時に牛や羊の牧畜が始まった。

森が開拓されオオカミが食していた鹿などの草食動物が少なくなるとオオカミは馬や牛や羊を狙うようになった。オオカミ捕獲の懸賞金はこの畜産農家が負担した。西洋文明は猟犬も連れてきて同時に狂犬病やジステンバーももたらした。オオカミは劇的に減った。


岩手では明治
11年と12年の2年間で75頭のニホンオオカミが捕獲されている。時代を遡ればオオカミが日本中の山中に存在し野生動物の頂点に君臨していたことは間違いない。明治になってオオカミを絶滅に追いやったのは野生動物保護の考えが微塵も無かったからだと著者は悔やむ。二ホンカワウソも絶滅したが気がついたら消えていたのだ。


ついでだが南部馬も今では純粋種はいない。富国強兵政策は在来馬同志の交配を禁じた。西欧の馬に比べて小さくひ弱な日本の馬を外来馬と交配して軍馬に育てるという国策があったからだ。在来馬も人の所為で姿を消した。


種が消えるということは大きく二つの問題がある。一つは生物多様性の持つ持続可能な世界のバランスを崩すということ。

農林業が衰退するに従って野生動物が増えている。鹿や猿やイノシシの増大が問題になっている。頂点に立つオオカミがいないことが原因でもある。


もう一つは文化的側面だ。一度消えたら二度と生きた姿は見えない。
ドードーやクワッガ、フクロウオオカミやタスマニアタイガー、そしてマンモス、その姿を観たいと思うのは人間ならではの知性の探求で侵すことはできないことだ。


知らないうちに絶滅してしまった生物に対しての人間の罪は残念だが仕方がない面もある。

罪が重いのは辺野古の埋め立てのようにわかっていてサンゴや絶滅種を消滅させてしまうことだ。移植したと虚偽の説明をするなど重罪に値する。


ニホンオオカミは少なくともボクの祖父が生まれた頃までは日本各地に存在していた。その絶滅が人間の仕業であったと伝えること、これはボクたちの責任だ。



# by willfiji | 2019-01-12 10:49 | 読書 | Comments(0)

「母の教え」(読書no.294)

「母の教え」 (著・姜尚中:かんさんじゅん) 

ベストセラーの著書「悩む力」から10年経った姜氏の最新エッセー。

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テレビでの著者の発言には共感させられる部分が多い。良心を感じさせるからだ。

悩む力に比べて熟成した文章が更に納得度を増す。


著者の逆境を思えば同じ世代のボクは順境の中で暮してきた自分の心の持ちようがこれほど熟成していないことに気づく。


氏は今亡き母の逆境を乗り越える教えに自分の行く道を定める。母の教えは「世の中には情のある人とない人がいる。情理を尽くすことが人の道」ということに集約される。


著者は父親が韓国から日本に渡り、許嫁である母親を祖国から呼び結婚、日本で生まれたいわゆる在日韓国人。国籍は韓国で妻は日本人。冷静な物言いはそうした環境で生きてきた重みの現れでもある。


「イムジン河」の歌は当時学生運動の中で「インターナショナル」と共に歌われたがボクもそうであったよう一過性のものであり懐メロになってしまった。「わが祖国、思いは遥か」と唄う。著者のアイデンテティーとして祖国統一がある。学生運動時、北朝鮮も韓国も独裁国家だった。

著者は祖国の民主化に在日として加わる。その中で金大中氏と出会い耐え忍びながらも志をあきらめず民主主義の実現に進む姿に感銘を受ける。


「金大中氏は竹林の七賢人のように、晴耕雨読、悠々自適のうちに読書と思索にふけり趣味や学問、芸術などの清談を愉しみ、汚濁の浮世に背を向ける生活を送りたかったと述べながら政治の道を選んだ。金大中氏は民主化こそが分断を乗り越え、国の安保に繋がる道であると倦まず弛まず説き続けた」と著者は著す。


金大中事件は氏が日本に滞在中に韓国に連れ戻され傷を負って解放された謎の多い事件である。日韓の政治決着によって真相究明されることはなかったが、金大中氏は大統領就任後日本政府に対して報復ではなく和解の手を差し延べた。日本の文化への深い関心を示し韓国における日本の大衆文化を解禁した。当時は非難ごうごうであったが日韓交流を先導したのだ。その後日韓関係は融和の時が続いた。


だが最近では時計が逆回りしている。著者が成熟的になったのも母の教えに向き合ったのも民主主義の要だった自制と寛容が失われていく現状があるからではないだろうか。


慰安婦、徴用工、そして自衛隊へのレーダー照射問題が日韓両国民を分断する。ナショナリズムをむき出しお互いの主張を言い合うだけの様相だ。そこには寛容も自制も見受けられない。


日本人としては日本側の韓国人としては韓国側の意見を支持するのが多数を占める。

冷静に見る良識派はこういった問題は有史以来ずっと隣同士では起こっていた普遍的問題だと語る。


小学生の喧嘩をどうとめたらいいか大人ならだれでも知っているはず。そんな姿を両国が見せて世界の模範生になる道を選ばないのか不思議でならない。お互いにバッシングしている者の愚かさを一笑に付す一人一人の知性が必要だ。少なくとも支持率が下がった両政権がナショナリズムを煽っていることに踊らされる民度の低さを争ってはならない。

著者の描く母の教えは普遍的なものだ。情が人間には備わっている。情を育むのは知性だ。著者は最愛の息子を失い政治学者としてのリベラル的発言からかいわれのない誹謗中傷を受け、夫人と軽井沢に移った。穏やかさが戻った日々の中で本書を著した。


逆境の中で著者を支えたのは洞察する知性である。庭に咲く高原の花たちに囲まれて晴耕雨読の時間を過ごす。著者は母のように自らの終わりがくることを自然に迎える準備ができていると同世代のボクに教えている。



# by willfiji | 2019-01-08 10:33 | 読書 | Comments(0)

「昭和の怪物 七つの謎」 (読書no.293)

昭和の怪物 七つの謎(著・保坂正康)

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2019年、平成も残すところ4か月となった。天皇が年末に「平成の時代の平和と繁栄が多くの犠牲と国民のたゆまぬ努力によって築かれたことを忘れず戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えることが大切だ」と言われた。


昭和に生を受けた者として年初に選んだのがこの本だ。昭和史を正確詳細に記述している中に半藤一利氏の「昭和史」があるがそれはボクの中には既読として残っている。

この著は昭和史のコアな人に焦点をあて、多大な犠牲を払った戦争の史実を浮かび上がらせる。著者は
4000人からの取材を通して記述する。

天皇の正しく伝えるという意味は歴史の改ざんと修正がはびこる現状を指摘したものだということは明らかで歴史修正主義者の本とは根本的に違う取材力に基いたものだ。


戦争最大責任者は戦時中最も長く政権についた東條英機である事は異論を挟む余地はない。東條は陸軍大臣から総理大臣になった。推挙したのは天皇だ。天皇は好戦的な東条が総理になれば抑える方に回ると考えたがむしろ逆になってしまった。


東條は精神論が好き、妥協は敗北だと考えていた。事実誤認は当たり前、戦争は負けると思った方が負け、サイパンが陥落しても日本人はいざとなったら何くそとなって聖戦必勝で進むと考えていた。

日本がどれほどの損害を受けても敗戦とは言わない非知性の論理の持ち主、著者は安倍首相も同じ自制のない人だと断言する。


国民の命は国に捧げるものであると人権など全く考えない人であった。天皇を畏怖する人であったが戦争に勝つことが天皇に報いることだと思い込み戦争拡大に突っ込んでいった。

戦死者の多くは戦争そのものではなく飢餓や病気で死ぬ。東條の精神論は戦争を更に悲劇にした。


あの戦争はアジアの開放にあったという戦争肯定論がある。日本人としてそうであって欲しいと思うことはわかる。そう考えていた石原莞爾を著者は評価する。


石原を支持する軍関係者も多かった。石原は東條と対立したが追いやられた。

石原には哲学があった。この世界は世界最終戦争によって終結する。最後は東亜と欧米との戦いになる。そのために日本は中国と協力する必要があると東條の力による中国侵略に異を唱えた。

最終戦争で世界を治めるのは天皇かルーズベルトかと問い自由主義から統制主義の革新が求められるとした。
満州から撤退して中国と組むという主張だった。


戦後石原は東亜と欧米との間で世界最終戦争が行われるとしたのは自惚れであり中国には謝罪しなければならないと語る。著者は石原の反省を知らない者がいい所だけ取って戦争肯定者になっていると記す。


靖国への首相参拝が問題となったのは東條をはじめとする
A級戦犯が合祀されているからだ。天皇は合祀されてから参拝しない。


ボクは遺族会代表の古賀元幹事長の意見に保守派としての見識を知った。

古賀氏は毎月のように参拝するが壇上に上がることはしない。合祀は靖国神社の誤りだとする。戦死者の多くは無駄死。そうさせた戦争責任者を日本人の手で裁けなかったから東京裁判が戦争責任を明確にしたものでそれを受け入れなければ戦死者は報われない。

天皇に参拝してもらうためにも戦犯合祀は間違いだとする。首相としての参拝も否定する。侵略された側の立場にもなれと言う。


ボクはそれに加えて靖国があの戦争を肯定する付属施設の遊就館があることも問題だと思う。

死人に鞭うつようなことをしてはならないし死んだらみな同じだという優しい気持ちは大切だがそれを利用して皇国主観の持ち主が扇動している。

天皇を神として祀り上げ権力維持のために利用するそれは保守とは名ばかりの権力主義に他ならない。


著者は保守の人である。吉田茂の言をして安倍政権を批判する。吉田茂は非武装論護憲の立場だった。天皇を守るために憲法が作られたとする。アメリカは基地の使用が主であって日本の再武装は従であると語った。


日本は安倍政権によって戦争できる国に変貌させられている、それでいいのかとこの本は問う。石原莞爾は東條との対立を聞かれて思想も意見もない東條との間に対立もないと切って捨てた。その上から目線が彼を滅ぼした。

安倍首相を東條と同じ非無知だという著者は保守であってリベラルではない。非無知や反知性と言う言葉は上から目線的言葉と受け取られてしまう。人間には戦争はいけないという知性と闘争心という本能がある。反知性は知性が抑えた本能を表に出したものだ。


この複雑な思想の綾を国民が知るのは何年ぐらいかかるのだろうか。急ぐ必要はないかもしれない。歴史認識が正しく伝わる事を望む年初である。



# by willfiji | 2019-01-04 17:39 | 読書 | Comments(0)

「1984年」(読書no.292)

1984年」 (著・ジョージ・オーウェル)

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70年ほど前に書かれたこの本が今多くの人に読み直されている。その時、イギリスでは労働党が政権を取った。著者は穏やかな社会主義を望んでいたがソ連スターリンは東欧の制圧をもくろんでいた。

この本が読まれているのは反共のプロパガンダとしてではなく独裁者は権力を確立してしまえばそれを維持するために腐心するという姿を描き出しているからだ。


日本には共産主義を誤解している人たちがいる。特にナショナリズムに陶酔するひとたちは共産主義=冷戦時代のソ連や東欧、そして北朝鮮や中国の一党独裁政権を例に持ち出する。少しでも学習したらどうかと思うことしばしばだ。

これらの政権は発足当初は共産主義を標榜してこそいたがマルクスが唱えた国家とは違う。党の階級が支配する独裁国家であって共産主義国家ではない。


同時に共産党とか反日愛国と言って愛国心を煽る人こそ今日的な意味でオーウェルが警告を鳴らした人々なのだ。彼らが批判する国家と彼らが回帰する皇国主観国家は統制国家という点では同じ姿をしている。


オーウェルは緩やかな社会主義国家を地上の楽園と呼び、それが実現しかけた瞬間に疑問が持たれ人権、言論の自由、法の前における平等が政治思想の全主潮が権力主義となって崩壊したと書いた。スターリンによるソビエト連邦のことだ。


現在もその時と同じ変わり目の兆候がある。イギリスの
EU離脱や欧州右翼の台頭やトランプ政権誕生、日本では安倍政権による民主主義軽視の動向だ。人類はめざした世界共通平和社会の実現に向かっていたかに見えたが社会がその方向を疑いだした現実がある。


民主主義の煩雑さにしびれをきらしたり、愛と正義と言った理想主義が知性によって守られてきたことに疎ましさを感じた人々が本音としての無知性を晒しだしたりした結果、世界は統制される権力の陶酔に惹かれていく。

中国の台頭は一党支配の効率性に裏打ちされて競争優位に立った結果と見られトランプ大統領や安倍政権の振舞いも多様性を認めない反民主主義の立場を取って強きに従う国民に効率の良さをアピールして一定の評価を得、多様な意見の支持者が凌ぎあう民主主義国家の中で敵失に救われている


オーウェルがこれだけ読まれているのは民主主義の危機を多くのひとたちが感じているからに他ならない。


今までは口に出したら恥かしいとされた言葉がネット上に行き交いフェイクが平然と語られる。ネット右翼という非知性が
SNSを通して拡散される。


ネット右翼の特徴として「韓国、中国、そして朝日新聞が嫌いな人」と定義したテレビ報道があった。

韓国、中国にも日本が嫌いな人がいる。良識的国民のなら隣国とは仲良くするのは当たり前、日本を一度でも訪れた韓国や中国の人たちの多くは日本人と接してとてもいい感情を抱いて国に帰る。

平和は善隣関係を築くことで継続する。お互いの国を非難しあう人たちによって戦争が始まることは歴史が証明している。


中国や韓国の人たちと仲良くすることや独裁的手法に陥る政権を批判するジャーナリズムを反日とするネット右翼に民主主義国家日本を汚染させるわけにはいかない。


ボクの読書ブログも今年最後になった。最近は政治的なことが多くなった。


ブログを
facebookに連動させているので政治的発言は控えた方がいいかと悩んでもいる。

Twitterとは違う土壌にfacebookにはあるからだ。

そんな時にオーウェルが再び読まれていると知って勇気付けられた。

世の中には変わり目がある。変わり目には想像力が必要だ。クリエーターは常に時代の風を感じ作品に生かしていく。ボクはずっと感性を論理づけていくことがボクらしい生き方だと思っている。
2018年そんなことを考えながら年が過ぎていく。



# by willfiji | 2018-12-28 16:52 | 読書 | Comments(0)