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近代天皇論(読書no.216)

近代天皇論」神聖か、象徴か。(著・片山杜秀・島薗進)

今上天皇の退位をめぐる右派と左派の態度が想定の逆だったことを不思議に思った人はボクだけではないだろう。

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退位について多くの国民が天皇の意向にそった思いを抱きボクもそう思った。本来なら保守は天皇の意に沿う動きをするのかと思ったら、退位を認めず摂政を置くというものだった。有識者会議が設けられた時、目を疑ったのがその人選、過半数を日本会議に関わる人が占めた閣僚人事と同じ構造。

日本が危うくなる安倍政権のこのやり方がボクが最も嫌悪感を覚えることなのだ安倍政権を支持する人は誘導的アンケートではあるが半数を占める。そんな人は日本会議がどんなものかわかっているのだろうか。


日本会議の主張を表したのが森友問題で浮上したあの幼稚園児の行動だ。あれを素晴らしいとすることを半数以上の人が支持するのだろうか?なぜ支持率が高いのかが論文になるほど不思議な現象であることは確かだ。


日本会議主張は櫻井よしこ氏の有識者会議での発言が示している。天皇は神聖であるがゆえに生前退位は許せないというものだ。天皇は神様なのだ

神話に始まる神武天皇の偉業に立ち戻り日本のよき伝統を守るという神聖な国家に支えを求める宗教ナショナリズムがその存在感を示し、戦前の思想から主流に返り咲いていることを安倍政権支持者は理解しているのだろうか。


著者たちは天皇がどのように神格化されたのかを分かりやすく説明する。明治維新の思想はあの徳川家康の孫、天下の副将軍が編纂した大日本史にある。徳川御三家の中で将軍になれなかった水戸藩は将軍以上の普遍の位を抱く天皇の臣として水戸学をおこす。その尊王攘夷思想は吉田松陰等が学び維新の原動力になる。

それが尊王開国となり、欧米に遅れた民主国家に追いつくために民主主義と天皇制が両立する国になったのだ。靖国神社のいきさつも明解で、農民でも死んだら武士と同等に祀られるために設立されたのだ。武士だけでは足りない兵は農民が担った。十分な補償ができないから天皇から賜る勲章が何よりも価値を持つとして、国のために戦うことを誇りに思う教育が徹底された。天皇が神格化する。


もともと神道はアニミズムの世界で哲学というようなものはない、光圀や武士が傾倒した儒教思想を入れることによって徳目が加わり皇国史観が出来上がったのだ。


日本会議は家族を大事にし、その子供は国のために働くもので女性は子供を育てるものとする、夫婦別姓は認めない。国のための国民があるのであって国民のための国ではないから民主主義の原点である基本的人権とは矛盾する考えだ、徴兵制を標榜する。


めざすは天皇の軍隊、決して認めることはできない。


天皇についてこの著者たちは更に語る、今上天皇は安倍政権とは対極構造にあるということだ。昭和天皇から引き継いだ象徴天皇に徹して平和国家を築きあげることが今上天皇の姿だ。

神ではなく人間としてのその振舞いを国民が見て深く敬愛しているのが現状だ。
A級戦犯が合祀されてから靖国参拝は決してしないし、侵略によって迷惑をかけた国々への慰霊の旅は日本国民の象徴として今上天皇の一大使命にもなっている。


ボクは神社に一般国民が参拝することや古事記や日本書紀に見られる神話のロマンを日本人として嬉しく思うことに全く異論はない。


ただ国民がカルト的思考を持つ勢力に組み込まれていくことを強く危惧している。
嫌中や嫌韓を宣伝し他国の人をヘイトする団体がなぜ存在感を増すのだろうか?


自主独立と対米従属という矛盾した二つの考えを使い分け象徴天皇の時代を神聖天皇に戻し国家制度に組み込むことはあってはならないことだ。


この本は現状の政治的危機を乗り越えるための提言もしている。

それは日本人の知性に十分訴えられるものだ。


「日米安保を優先する思考が本当に現実的なのか?日中や日露を込みにした安全保障を構築しつつ平和の理念を世界に宣伝すること。」これこそ美しい国日本ではないのか。


北朝鮮の軍事的危機を喜んでいるのは当事者である金正恩氏と安倍晋三氏であるという言質は決して間違っていないようにも思うのだ


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by willfiji | 2017-05-21 10:37 | 読書 | Comments(0)

「南京事件」を調査せよ (読書no.215)

「南京事件」を調査せよ(著・清水潔)

本書に描くドキュメンタリー番組でもギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、放送人グランプリ、平和協同ジャーナリスト基金賞奨励賞などを受賞。

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著者を知ったのは「殺人犯はそこにいる」を読んでから、真実を追求する姿勢に今薄れつつあるジャーナリズム精神に一石を投じていると感服したからだ。


その後
Twitterでもフォローして著者の投稿がその本領を発揮していると更に注目するようになった。


著者の所属する日本テレビは政権よりの報道をするが著者の軸足は変わらない、右でも左でもない真実にその身を置く。


「おれにとっては右派も左派もない、あるのは真実だけだ」(ボブ・ディラン)と同じ心境だ。


南京事件は安倍政権になって特におかしな解釈をする人が出てきた。慰安婦も同じだが、なかったとする人だ。今までなら問題ならなかったが、産経新聞がその立場をとってから特にそう言いたかった人に賛同する人が出てきた。


書は
31冊の日記と現地取材 南京事件の事実を示す。


1215日、23日前捕虜せし支那の一部5000名を揚子江の沿岸に連れ出し機関銃を持って射殺・・・・山となっている死人の上をあがって突き刺す気持ちは鬼をもひしがん勇気が出て力いっぱい突き刺したりウーンとうめく支部兵の声、年寄もいれば子供もいる一人残らず殺す。刀を借り首をも切ってみた」


なぜ自分の犯罪を今知らしめるのかの問いに老人は二度と過ちをおかさないことと真実を残す使命を果たすことと答える。


著者は日記の日付や官庁に残っていた資料などで裏付け捜査もしてこれが真実だと番組を作り上げた。
9割以上の賛同の反応があったと日本人の良心に安堵すると同時に一割の批判にもその誤りを正す余地を見つける。


南京事件は無かったという根拠にそれらはその時の兵による言葉で、
あれは誤射だったとか、捕虜の反乱があったとか、中国兵のなりすましだとかいうものだ。

その兵は戦争中英雄だったのに捕虜を殺したことで問題の人になる。そうならない立場に立つのは理解できる。だが事実を隠蔽している。


日記を公開して過去を語る老人の勇気こそ真実を語る姿だと思う。


国益を損なうという理由で真実から目をそむけ、利益や利害を主張するイデオロギーを支持する立場に立つ産経はもはや一般紙ではない。


真実を伝えるというジャーナリズムとイデオロギーとは世界が違うとの考えを軸足に読売系日本テレビに籍を置きながら真実を追求する著者の書をボクは疑うことはできない


色んな資料があるだろうが、南京や慰安婦問題はないとしたら我々は虚偽の歴史を作ったと未来を託す人たちに思われてしまう。そんな愚を犯してはならない


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by willfiji | 2017-05-16 11:09 | 読書 | Comments(0)

イヌにこころはあるのか。(読書no.214)

イヌにこころはあるのか」(著・レイモンド.コッピンジャー マーク.ファインスタイン)遺伝と認知の行動学。

イヌを飼っていると人間と同じように「こころ」を持っていると確信する。

この本は動物行動学イヌ研究の第一人者が書いた、愛犬家必読書である。

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この本から学んだことをボクの従来の知識を加えて記す。

現在世界には10億のイヌがいる、日本にいるボクたちはそのほとんどを家族と共にくらしているが定まった人に飼われているイヌは1/4に過ぎない野犬や村イヌといったノラがイヌの大半。


イヌの祖先はオオカミだといわれているが、他にジャッカル、コヨーテ等とも似ている。みんな同じ祖先を持つと考えるべきだ。交配もできオオカミ犬を飼っている人もいる。


オオカミは遠吠えをするがいつもワンワン吠えているのはイヌの方で遠吠えとは吠える意味は違っている。我が家もそうだが怪しい人が来た時、家族がいると吠えて知らせるが、家族がいなければ吠えない。


イヌは他のイヌに食べ物を分けることはないがオオカミは狩りをした仲間同志で獲物を分け合い、子供には吐き戻しして餌を与える。イヌは何万年も人間のそばにいたから遺伝子の中で餌は人によって与えられると組み込まれている。


イヌの「こころ」はこの遺伝子にあって行動を促すように働く。

イヌほど犬種の多い動物はいないのではないだろうか、我が家のパピヨンとグレートデンでは体重が10倍も違う。


家畜に対して働く作業犬でも護衛犬のシープドッグとボーダーコリーやコーギー等の誘導犬では動きが全く違う。護衛犬はオオカミやクマと戦う姿勢を見せて追い払うがヒツジを囲い込むことはしない。
また誘導犬でも羊を追い込むボーダーコリーと牛の足にかみついて逃げていかないようにするコーギーとは違いがある。


我が家はスポーツドッグ競技を楽しんでいるから犬種の特徴がよくわかる。

アジリティーやエクストリームのように旋回する競技なら大型犬ではボーダーコリーが適している。パピヨンも誘導犬系統だから能力を発揮する。

但し、小動物を追い込んで穴の中まで入っていっ殺してしまう狩猟犬のジャックラッセルや大型犬を一回り小さくしたシェルティーが同じグループに入るとスピードでは負けてしまう。他に水の中に落ちたカモを拾って持ってくるプードルまっすぐ進むなら動物を追い続けるウイペットや小型化したミニチュアピンシャーがスピードで勝る。


生まれながらに持っている遺伝子と生後に訓練される育て方がイヌのその後にどのような影響を与えるのかこの本は詳細に記述していてとても興味深い。

スポーツドッグは犬種の持つ遺伝子と生後の訓練が個体差となる、もちろん競技に優位な遺伝子を持ったイヌに効果的な訓練をすれば最強になる。


イヌにこころがあると思うのは、喜びを共に味わえる時だ。

スポーツドッグ競技にボクが魅せられた理由はここにある。


人間の気持ちが一番わかる動物はイヌだとまではこの本は言及しない。

冷静にイヌを扱っているところがますますイヌと人間との関係が深いということを気づかせてくれる。


イヌは人を決して裏切らない。
イヌから学ぶことは多い、人間より多様化の進んだイヌを長い年月かけてつくりあげたのは人間だ。

この芸術品との暮らしほど心地よいものはない。


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by willfiji | 2017-05-09 10:13 | 読書 | Comments(0)

拉致被害者たちを見殺した安倍晋三と冷血な面々(読書no.213)

拉致被害者たちを見殺した安倍晋三と冷血な面々」(蓮池 透)北朝鮮に拉致された蓮井家薫氏の兄が語る拉致問題。

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2002年小泉首相が訪朝し拉致が明らかになってから十数年が経った。著者の弟家族らは帰国したがその後の進展はない。帰国できなかった拉致されたとされる人たちの動向は北朝鮮との関係を考えればますます不明度を増す



この本は拉致家族当事者が日本の無作為の原因とその経過を自らの反省を込めて語る歴史書だ.


ボクが拉致家族の人たちの発言が少しおかしいと思うようになったのは、著者をはじめとする家族会の人たちの北朝鮮に対する言動が右翼的な人たちが言っていることと相似していると感じた時からだった。

凄惨な運命を背負わされた家族の人たちがなぜ極右とも言われる差別主義者が口にする言葉と同じレベルで北朝鮮を批判していたのだろうか?この本はその疑問に答える。


「家族会が救う会に乗っ取られた」と著者は訴える。今著者は救う会とともに家族会とも距離を置く。

更に北朝鮮に敵対する発言を先頭に立って言っていた自分を「特定の思想があるわけではなくまったくのノンポリで新聞もろくに読んでいなかった」「後先を考えない独りよがりの発言」「小泉訪朝からヒーロー気分になり今考えると恥ずかしい」と猛烈に反省する


拉致された家族は当初何をしたらよいのかわからず救う会の人々がすべてのおぜん立てをしてくれたのだ、各地の講演や署名活動など救う会が家族会を支援する形で動いた。


家族会を政治利用する人たちの見分け方は簡単でそういう人たちは間違えなくブルーリボンをつけている、必ずといっていいほど北朝鮮に対して強弁な主張をする。

最も政治利用したのは安倍晋三だと名指し、拉致を使ってのし上がった男だという。

安倍氏が注目されたのは蓮池薫氏の一時帰国を阻止し彼を返さないと小泉首相に言い張ったということが有名だが事実は違う。迷った結果北朝鮮に戻らないと強硬に主張する薫氏をなんとか戻そうとしていたのは安倍晋三と中山恭子氏で薫氏の強い意志に最後に折れたというのが事実だ。

そのことが報道されていたら安倍首相は一次も二次もなかっただろう。中山氏はその後議員となって自民党から日本維新、そして最右といわれる政党党首になっている。


北朝鮮問題が浮上している。アメリカの先制攻撃論が危機を煽る。冷静に考えればトランプ大統領が火をつけたのだが、危険なのは対話と圧力と言いながら対話努力しない安倍首相の対応だ。

著者の考え方が変わり最近では拉致家族会も制裁では解決は遠のくばかりと対話の方法を模索しだしたのは、あらゆる手段を尽くすといった安倍首相がやったことは経済制裁しかなかったからだ。圧力は北朝鮮を硬化させるだけで解決の道を閉ざしてしまった。


北朝鮮のやり方は許されるものではないが武力では解決できない。

地道で多くの批判があっても光明をみつけて交渉し続ける忍耐力が必要だ。


今回の北朝鮮危機によって支持率が持ち直すという悲しいポピュリズムの世界に日本が陥っている時、この拉致問題の対応の経過と結果から学ぶべき点が多いことを知るべきだ。

拉致問題を利用する政治家たちは北朝鮮を非難することで支持を集める。

偏狭的なナショナリズムを盛り上げた右翼的思考は対話の道よりも力で相手を抹殺する道を選ぶ。勇ましい姿勢は受けがいい、パフーマンスに騙まされず経済制裁だけで10年以上経った拉致問題の実態をきちんと見るべき時なのだ。

タフでハードで面倒な交渉を回避して戦闘行為をちらつかせて脅威を煽ることがいかに愚かであるかを歴史から学ぶ必要がある。


平和を口にすると売国者とかスパイと言ってバッシングする極右にこの国を動かされてはならない。日本は拉致事件によって加害者から被害者になった。鬱憤してきた憤懣や差別意識がふきだしてしまったと著者。


右翼でも筋の通った人は義を重んじる。森友問題で露呈した同志をも簡単に切り捨てる安倍首相はいつまでその地位を維持するのだろうか。


話し合いを真剣にすることを放棄する人は自分の意見の正当性を示すために北の脅威が続くことを願う人になっているようにも思える。


性善説と性悪説のどちらを取るか、その答えを見つける時かもしれない。日本国憲法は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して・・」と人間の性善説に立つ。


性悪説を取る人は性悪説そのものが戦争への道だと気付いているのだろうか。ボクは人間は性善に向けて歩む者だと信じている。


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by willfiji | 2017-05-06 17:13 | 読書 | Comments(0)

蜜蜂と遠雷(読書no212)

蜜蜂と遠雷」(著・恩田陸)
直木賞と本屋大賞の両賞を取った本は初めて、文句なしの最高傑作。今一番売れている本だ。

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芸術を楽しめるのは神様に一番似せて人間が創られたからなら神様に感謝だ


神様は文学と音楽が融合したこの本にどんな評価を与えるのだろうか。


ピアノで奏でる世界が音符ではなく言葉で埋められ、読みながら聞こえてくるその文章力に圧倒される。


バッハ、ベートーベン、モーツァルト、ショパンなら誰しもが知っていて、ラフマニノフなら名前だけはというボク程度の人でもこの本でバルトークやプロコフィエフを聴くことができる。
500ページのすべてがピアノコンサートの世界に導く。


冷たい世界が肌に気持ち好かった、足の下でぱきんと枯れた枝が折れた音がする。ミルク色の霧の中にキラリと光が射し込んだ。鹿がぴんと耳を立て、首を上げる。遠くからくる何かに気付いたらしい。高いところで鳥が鳴く。さえずる、歌う。はばたいて空を渡っていく


作者は音楽を文学にして更に絵画や映像をも提供する。


この本は人間が持つ感性のすばらしさに対しての自惚れを強くするのと同時に芸術がいかに表現しようともその彼方に自然が悠然とあることも示している。


そして人間の心が持つ感性の寛容性ともいえる表現方法の広さも著す。


ピアノコンクールに出場した
4人を中心に小説は展開する。


一次予選から二次三次予選へ進み、本せんで優勝者が決まる、数多の曲で
4人が競う。


ピアノは打楽器となり時に弦楽器にもなる。同じ曲も演者によって異なるイメージが生まれそれが何百年経っても変わらぬ一つの曲として納まる。


心地よいコンサートに時間を忘れ次々に聴き入ってしまう自分と美味しいものが無くなってしまわないようにゆっくり噛みしめていたい自分とを葛藤させながら読み進んだ。


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by willfiji | 2017-04-28 11:04 | 読書 | Comments(0)

サピエンス全史 (読書NO.211)

サピエンス全史 上・下」(著・ユヴァルノアハラリ)読書NO.211
文明の構造と人類の幸福。


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人類の中でただ1種が生き残ったのが我々ホモサピエンス。

生き物の頂点に立ったサピエンスは
5万年の歴史を作り今、地球の運命を握る。


人間が生きるために「私たちは何になりたいか」ではなく「何を望みたいか」を考えていくことだとこの本は示す。


ホモサピエンスが自分たちより大きな肉体を持ったネアンデールタール人を滅ぼしたのは、協力して敵に向かう術を持ったからで、人を同じ方向に向かわせるには少人数なら簡単だが群になると「想像力」が必要になる。狩猟民族から農耕民族になり集落が大規模になるにつれて「想像上の秩序」必要になったのだ。


神、帝国主義、資本主義、自由主義、が想像上の秩序としてどのように生まれたかを丁寧に述べる。


この本が世界的ベストセラーとなっているのは今の政治的環境を反映したものだと思う。


ナチスドイツが自らを優れた民族としてユダヤ人を虐殺したのはダーウィンの進化論を根拠にしている。
優秀な民族を残すことが正義だとし他民族を迫害した。日本も近隣諸国の人たちを蹂躙した。


愚かな戦争を体験した人類は民族に優越はないと協調の世界を作ったが今世界はもとより日本人の中にも差別発言をまともにする人が出てきている潮流がある。


世界が右傾化している表れとして自国ファーストを訴える人は自分たちを優秀民族だと言わないまでも他国の人は自分たちより未成熟だから自国にその影響を及ぼしてはならないという論理で支持を得ている。

協調から排除への移行はホモサピエンスの歴史を後戻りさせているような動きだ


日本の復古主義者たちは日本独自の文化を必要以上に誇りそれを守れと言う。正しい認識が欠けている。
日本文化が影響を建国の時から受けた中国や朝鮮を嫌い、明治政府が取り入れた脱亜入欧思想を根底に持つ。

安倍首相がトランプ氏やプーチン氏と接近し習近平とはそうはいかない理由がそこにある。

太平洋戦争がアジア人解放の戦いで侵略戦争はなかったという彼らの主張と白人に劣等感を持ち追従していることは矛盾している。だがそんなことにも気づいてはいない。


この本は日本のアニミズムにも言及する。神道だ。神々がいろんなところにいて神々同志も争うからとても人間的だ。
世界の歴史は多神教から一神教に移行するが日本は神道が残る。


日本で面白いのは皇国史観が多神教である神道から生まれたことだ、アニミズムの世界はギリシアの神々のように物語の中で信じればいいものを、明治政府が軍隊を動かすために使った天皇を神様とする思想になった。皇国史観だ。

軍隊を動かすのは強制だけで組織するのは不可能で、神、名誉、母国、男らしさ、お金、それらの何であれ信じている必要があるから皇国史観が生まれたのだ。皇国史観は純粋な神道とは違う


著者は決して悲観論者ではない。

平和社会の揺り戻しという時かもしれないが著者は悲観論者ではない。戦争や犯罪行為によって死ぬ人は1,5%しかない。


サピエンス
5万年の歴史の中で今が一番平和だという。

これは国際関係の緊密化によって各国の独立性が弱まってきたことによる。

多くの人が特定の民族や国籍の人ではなく全人類が政治的権力の正当な源泉であると信じて人権を擁護して全人類の利益を守ることが政治の指針だと考えるようになってきたのだ。


戦争は利益にならず平和の利益はあまりにも大きいと理解したのだ。

日本は平和憲法によってその中心にあった。


今、北朝鮮に対する先制攻撃というとんでもない問題が出てきている。武力では平和は築けない、無知からくる揺り戻しの思想を抑え、冷静に行動しなければならない。
あくまで外交で解決することを貫くべきだ。


パン屋を和菓子屋に変える道徳教育や教育勅語の容認、集団的自衛権、秘密保護法、共謀罪等。日本は平和国家の道を捨て核禁止条約にも反対する国になってしまった。


サピエンスの
5万年の大きな流れは時に逆流する時もある。


戦争で死ぬ人が有史以来最低であるのは知が無知を上回る人類の歩みを示している。

安倍政権を支持する
53%の人も無知ではない。
揺り戻しの期間が長期になることが杞憂となれば幸いだ。



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by willfiji | 2017-04-16 17:31 | 読書 | Comments(0)

天井の葦 (読書NO.210)

「天井の葦 上・下」(著・太田愛)読書NO.210


共謀罪法案
がまたもや強行採決で立法化されるような情勢の中、この小説は権力によって報道が抹殺されていく危険性を示した話題の書である。

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本当に日本はどうなってしまうのだろうか?共謀罪はテロ対策とのまやかしで日本を監視社会にしかねない、人権侵害の法案だ。太平洋戦争に国をあげて突き進んだのは反対する人たちの口を塞ぎ死に至るまで拷問で追い詰めた治安維持法が威力を発揮したことによる。治安維持法そのものになり得るのが共謀罪だ。

戦争に反対する人たちを売国者とか非国民として国民自身にも監視させ、意見の合わない者を排除した。共謀罪は一般の人には関係ないという、一般の人とは政権に賛成する人で戦前は国のため、天皇のために命を投げ出す人だった。


国のために死ぬのはいいことだ
という無知性が顔を出している。人が生きていくための基本的人権をわがままなことだと矮小化する戦前復帰思考に酔う極右が安倍政権支持者のコアにあって政権が否定できない状況にあることが危険なのだ。


この本は政権首脳がメディアを政府の方針を宣伝するための道具として考えている状況を描き出す。どんな時代の報道の中にも権力にすり寄る者たちがいる、自分の下劣さを処世術や政治力と思い違いした人たちだ。


毎日の報道番組で田崎何某や山口何某といった人が頻繁に登場しジャーナリストにはあり得ない政府擁護の発言を繰り返す姿は見苦しいものではあるが少なくない視聴者が引きずられている面があることも現実だ。


ひとつの国が危険な方向に舵を切る時、その兆しが最も表れるのが報道であって
報道が口をとじ始めた時はもう危ないとこの小説は読者を現実の世界に引き戻す。


安倍政権が長期化して報道に口出ししてから報道の切れ味が鈍ったことは確かだ。
何人ものキャスターやコメンテーターが姿を消している事を目の当たりしている。


報道が萎縮していると発言を強めているのが池上彰氏だ、彼は左翼でもリベラルでもない良識派だが相当なバッシングがあると明言する。ネトウヨによって非国民、国賊といった言葉が広がり普通に暮らす人々の間に幅を利かせている。


池上氏は少しでも政権に批判すると様々な圧力が加わりその対応に消耗してしまいかねない状況にあると訴える。秘密保護法ができてから報道の自粛が始まったという。共謀罪は監視社会をつくり更に政府の姿勢を察して動く行動が報道を包むことになる。


人々が政治に対して無関心になり言われるままになっていく、それは民衆主義の崩壊だ。


安全という名目で危険が迫り自由がなくなっていいのかと国民は真剣に考えなければならないだろう。
ボクがこんなことを書いても問題のない社会を続けることにつながる。


北朝鮮のミサイルに対して日本も先制攻撃できる体制を作れとびっくりするような発言が出てきた。こんなことに賛成する人は今少数だと思うが、やがて国論となってしまうかもしれない。

太平洋戦争が起こったのはそんな国民の意識があったからで戦前復帰の思想は戦争を肯定したことから生まれている。

3次世界大戦が起こるような無知性な世界を止めるためには小さな火であってもひとつひとつ消していく国民の強い意志が必要だ。


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by willfiji | 2017-04-07 16:16 | 読書 | Comments(0)

いのちの場所

いのちの場所」(著・内山節)


3
つの考え方で物事を見るといいと「ローマ人の物語」の中で塩野七生が書いている。
3つとは「法律」「」「哲学」だ。


哲学視点」でとらえたこの本は「いのち」をテーマにその生き
ることとは何かを語る。

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東京と群馬の二重生活をしている著者は群馬県上野村の人たちと接して生きるという意味が深化した


都会では人間関係は極めて薄い。村では人間同士の関係で成り立つ生活がある。


重要なのは自然を感じる世界だ、都会では自然を感じることは少ないが村では自然との一体感が人を包む。


都会と村との比較の中で著者は生きるとは何かを問い詰めその中で「いのち」に考えが及んでいく。


「いのち」とは今で「生きる」とは未来だ


現在のいのちが自然との一体感の中にあって生きる意味があれば不安はないという。

自然との一体感のない中で真剣になればなるほど未来は不安にみちている。


村での生活と都会での生活を考える中でこの本は個人や国家に及よんで展開する。


国家とは何か、個人という考え方はいつごろ生まれたのか、哲学的思考が神と法も語る。


自分が死んだらすべてが無くなる、人間は国家がない時代も生きていた。国のために死ぬなどの思想は近代になって出てくる。


こんな哲学をボクの文章力で表すことは永遠に無理だと思う。


その問いに著者は「いのちとは何かは自明のものではない、理論的に永遠に自明にはならないもの、文化的文脈の中で諒解するものがいのちだといってもよい」と答える。


ボクは自然の中に立つ自分も都会の便利さの中にいる自分も自分であると認識している。


この本が教えるのは自然の中にいる自分は都会にいる自分より純化されているということだ。ボクにとってヨガや瞑想はそんな場を提供している。


諒解する自分であるために暮らしの中で自分のいのちに沿った生き方をみつけていくことがボクの生き方になる。

自分のいのちは自分だけのものではなく、他者や自然や、思いを寄せる人々と共有していくものだと諒解していく生き方だ。


深く静かな思考に導く哲学の時間の中で「おのずから」という言葉がボクの中に残った。


生と死を包み込む風土の中に「おのずから」を諒解する自分であることができるだろうか、


著者の問いに対する答えをみつけていきたいと思う。


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by willfiji | 2017-03-28 17:54 | 読書 | Comments(0)

いま憲法は『時代遅れ』か

いま憲法は『時代遅れ』か」(著・樋口陽一)主権と人権のための弁明


今ほど憲法が問われたことはない。もし改憲のための国政選挙が行われたら、改憲は反対多数で平和憲法は守られると思うが、憲法
9条をオブラートに包み、2院政や教育無償化等の問題と共に提示されたらどのような結果になるか想像できない。

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おかしなことを言うトランプ氏や繰り返す戦争の反省で生まれたEUからイギリスが離脱する等をみると改憲に過半数を得る状況が日本にないと言えない。


何冊かの憲法についての本を読んだがこの本も憲法の本質を解く憲法学者の書だ。


著者は憲法論の基本が「主権と人権論」にあるとする。権力から国民が身を守るために憲法がある。

国のために戦うという姿勢が問題となった集団的自衛権容認を違憲だと多くの憲法学者が示したのはこのことだ。


今話題の森友学園の教育勅語問題も書かれている主語が皇族になるから憲法違反で教育してはならないことになったのだ。

親を大事にするといった福徳を重んじる部分に共鳴して何が悪いという輩を無知性とするのは福徳の受け手が天皇の国家であって天皇がいままでやってきた世界を続けることこそ平和なのだという皇国史観そのものが間違っているから無知性と言うのだ。


ボクは憲法
9条は守るべき日本の基本だと思っている。
それを軸足にして政治を行うべきであって日本の誇りだとも思うのだが改憲の人たちの中には無知と言って切り捨てることのできない人もいる。


考えの浅い人から深い人までいるその考えも知って、この本が何を導いてくれるのかと考えながら読んだ。


浅い所では憲法はアメリカによって押し付けられたというものがある、自主憲法論だ。


海外からの移入だから日本独自の憲法をつくるべきという考えはその主張者が復活を願う明治憲法もヨーロッパの立憲主義を取り入れ日本の不平等条約からの開放を願ったもので移入した憲法だと一蹴する。
もちろん聖徳太子の
17条憲法はインド・中国仏教文化をその源にしていて、開明的であったからできたものだということに異論はないだろう。


他にも日本が敗戦によってポツダム宣言を受諾し敗戦責任を担わされた憲法が日本国憲法だという主張がある。
それは全く違っていると著者の答えは明快だ、


ポツダム宣言は合意で受諾されたもので日本人が持っていた民主主義の回復が記されている、日本は明治維新後近代思想を受け入れて民主主義が育っていた。大正デモクラシーや男性だけであっても普通選挙実施や政党政治等だ。

民主主義国家を天皇が統帥する軍事国家に作り変えたのだからその誤った道を正すためにポツダム宣言はあるとわかりやすく答えている。


共謀罪が国会を通ろうとしている。これは治安維持法という自由な発言を封じた戦前最大の悪法になり得るものだ。

統制は反対を抑える手段でもあって政権が長期になればこんな法律が出てくる。


自由を守るために憲法があるのだが、自由ということを考えると法律で縛ることに矛盾があるのでないかとジレンマに陥る。


著者は「自由の敵には自由を与えてはならない」という。共謀罪は自由の敵だ。


人間には『人類普遍原理』がある。

憲法を多くの国が変えているとの主張にアメリカの独立宣言やフランスの自由・平等・博愛といった硬性憲法があると指摘している。


同じ敗戦国であるドイツには自由で「民主的な基本秩序に手を触れる変更はゆるされない」という大きな縛りがありアウシュビッツは無かったとうのは認められない。


平和憲法こそ日本の理性と寛容の精神が生かされたものだ。時代が抑圧と排除へ向かうことを止めなくてならない。
いかなる国との戦争も放棄した憲法
9条は人類普遍原理そのもので変えてはならない硬性憲法だ。



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by willfiji | 2017-03-22 10:13 | 読書 | Comments(0)

終わった人

終わった人」(著・内館牧子)

話題のこの書は多くの「終わった人」が持つ共通の思いを描いている。

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主人公田代は東大法学部卒という学歴を持ち一流企業に就職しサラリーマン世界の階段を駆け上った、絵のようなエリートの道を歩む。ボクらの多くがそうであったように企業戦士として競争社会に挑み会社に貢献することを生き甲斐としてしゃにむに働く


役員を目の前に田代は主要コースから外され子会社に異動となる。不服ではあったが子会社の役員となりそこでも懸命に働く。この物語は田代が専務取締役を最後に退職者として第2の人生を歩む所から始まる。


散り際千金」を心した彼は延長雇用して会社にしがみつく姿を許さなかった。彼の誇りは退職しても続く、田代とボクとは同じことと違うことがあると感じながら読み進む。


「思い出と戦っても勝てねぇんだ!」「思い出は時がたつほど美化され力をもつ」。
いい表現だが退職すると現役時代の仲間たちとの飲み会での会話は時がたてばたつほど美化されていく、ボクは罪のない会話だと思う。一生懸命働いたことを語り合える仲間がいることはいいことだ。


退職後田代はスポーツジムへ通うがボクと違うのはそこで出会う人たちをジジババの世界だと壁を作って融和しない生き方だ。ジムには田代のような男たちがいる。きっと会社ではそれなりの地位を持っていたのだと思うがひたすらマシンに挑んで笑顔さえもったいないと運動に励む人たちだ。

ボクはジムで顔を合わせた人とは挨拶をかわし、今では顔見知りの人たちが沢山いて、地元でたまに飲む仲間もできた。

女の人たちの多くはおしゃべりに夢中で面倒なこともあるがそんな時は放って運動すればいいのだ。会社と違って上下関係がないから生身の人間が試される。


田代はジムで会った若き経営者に頼まれ会社経営に携わることになりのめり込んでいく、ボクも退職後一年の間を置いて友人の会社の顧問になったから、ビジネスは退職してからも未練があるものだと理解できる。

田代はビジネス一直線の人、それを貫く、
そして・・・・・。


 ボクは同期の中でも働いた方だと自負するが、絶えず自分の中にもう一人の自分を置いていた、マルクスのいう疎外されない自分を作ってきた。
「朝に狩猟を昼に魚を夕べに家畜を夕食後に批評を」という言葉を旨としていた。多様な自分でありたいと限られた時間を趣味と仕事に割り付けた。


 ボクが思う最も自分が自分でなくなったのは最後の職位であった経営トップの時だった。トップの位置についたことは美化すべき思い出かもしれないがボクにとっては貴重だけれど一番楽しくない時だった。


「人生なんて先々前持って考えて手をうってもその通りいかない」、内館牧子氏とは面識はないがボクの大学の先輩だ。「感性の開放」という建学の精神が共通して生きているように思う。


終わった人が心するのは「衰え弱くなることを受け止める品格をもつ」ことだと著者は言う。

品格が問われるのは日本社会と同じ命題だ、自分らしく受け止めて生きて行こうと思う。


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by willfiji | 2017-03-16 17:07 | 読書 | Comments(0)