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空のように、海のように♪


パピヨンパパの思うこと
by willfiji
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「実力も運のうち」(読書no.450)

「実力も運のうち」(著・マイケル サンデル)(読書no.450)能力主義は正義か。

「実力も運のうち」(読書no.450)_a0199552_10281600.jpg
「能力主義」は「メリトクラシ―」を訳したもの、メリット(価値・長所・功績・功労)が原語だ。


能力主義の影響が貧富の格差を生み世界を分断化している。


能力主義を育む大学入学の門は富める人に広く貧しい人に狭い。流動性のない世界とサンデル教授は指摘する。


かつてアメリカでは人間は誰でも努力することによって名声や富を得ることができると信じられていた。今は貧しい家庭に生まれた子が富を得る確率はごくわずかだ。

能力主義は新自由主義とともに世界中に浸透した。


ボクも現役時代、個人の努力が報われる社会である富や地位は自己責任によって得るものと思っていた。


高度成長を経て日本の成長が鈍化し合理化の波がやってきた時、ボクは経営者側にいた。

人件費が見合わない人に退場を示した。労働組合も協力してくれた能力主義は正論だった。


ボクは能力主義を生んだ新自由主義は行き過ぎたと痛感している。合理化は時代の波でもあったが思えばその時から日本経済の低迷が始まった。


「富は才能と努力の印であって貧困は怠惰の印である。私の成功が私の手柄とするなら彼らの失敗は彼らの落ち度のちがいない」。こうした論理によって能力主義は共感性をむしばんだ。

能力主義の弊害が社会を分断している。サンデル教授は新自由主義を批判する。

証左はトランプ大統領の誕生とイギリスのEU離脱にみられる。


トランプは学位を持たない白人有権者の三分の二の支持者を獲得した。ヒラリークリントンは上級学位を持つ有権者層では圧勝したが大統領選で敗れた。イギリスのEU離脱賛成者は大学教育を受けてない人たちで大学院学位を持つほとんどの人たちは反対したがイギリスはEUを離脱した。


能力主義によって排除された人がトランプやEU離脱を支持し多数を占めるに至った。


同様にポピュリズムの台頭は日本でも安倍政権の長期化に顕著に表れた。

新自由主義の政策を推し進めながらナショナリズムという感情を利用して富を手にできない人の怨念を韓国・北朝鮮・中国に向けさせる姿は富裕層の代表であるトランプが白人労働者の支持を得ている姿と同様のものだった。

貧富の格差を是正するために能力主義の行き過ぎを止めるものとして「機会の平等」がリベラルな人の主張となった。ボクもそう思ったがサンデル教授はそれでは根本解決にならないという。

「機会の平等は不正義を正すために道徳的には必要な手段であるとはいえそれはあくまで救済のための手段であり良き社会にふさわしい理想ではないからだ」。

能力主義に立ったエリートがリベラルな考え方で行き過ぎた富の偏在を機会平等でうめあわせようとしても能力主義で分断された人たちには響かない。

ハーバード白熱教室の先生サンデルはリベラルな立場を持ちながらその欠点を埋める言葉を教えてくれる。

『我々を「分断する冷酷な成功の論理」から抜け出すために「才能を認めてくれる社会に生まれたのは自分の手柄ではない」ことを認めなければならない。それが専制を超え怨さの少ない寛容な公共生活へ向かわせてくれる』と。

ボク等以上に能力を持ち努力した人でもボク等より貧しい人もいる。またボク等より努力しなかったにもかかわらず富を得ている人もいる。


「人間が根本的に必要とするのは生活を共にする人から必要とされることだ」。


ボクが現役時代にこの考えを得ていたらその時、行き過ぎた新自由主義に異を唱えることができその時の反省を今、心に負うことがなかっただろう。



# by willfiji | 2023-06-25 10:33 | 読書 | Comments(0)

「ルポ死刑」(読書no.449)

「ルポ死刑」(著・佐藤大介)(読書no.449)法務省がひた隠す極刑のリアル。

「ルポ死刑」(読書no.449)_a0199552_14493489.jpg

今国会で注目された入国管理法案が通ってしまった。


多数決は審議を尽くした最終手段なのに矛盾が露呈したままの強行裁決だった。

この法案内容をきちんと理解したらほとんどの国民は納得しないだろう。

難民の人権を日本は守らない。


そんな日本でいいのだろうか。


同じく人権法案であるLGBT法案も野党が賛成という役割を演じさせて維新や国民民主の主張を丸のみして法案を通した。


難民やLGBTの人は少数=マイノリティーだが人権は少数者にもある。


維新・国民民主が提出した「全ての国民が安心して生活できるよう、留意する」という言葉を普通に読めば当たり前だが「全ての国民」が指すのはマジョリティーだ。

どんな人もマジョリティー側にいつもいるとは限らない。


人間の多様性認めない、個人の尊厳を認めない社会は民主主義国家とはいえない。

なぜこんなにも日本が理不尽な国になってしまったのか?残念でならない。


死刑についても同じことが言えるのではないか。日本の死刑の実体を知るためにこの本を手にした。


世界ではEUをはじめ140か国が死刑廃止。米国も州によって死刑実施しているがバイデン政権になってから米国連邦政府として死刑廃止に動いている。


EU加盟条件に死刑廃止があって国際的に犯罪者引き渡しの条件にもなっている。

主要国の中で中国、イラン、イラク、北朝鮮と日本が死刑執行国だということを知っている人は少ないのではないか。


日本で死刑廃止議論が進まないのは「遺族の鎮魂を考えると死刑には反対できない。復讐してやりたいと思うのが被害者の遺族でそれができないなら国家にその無念をはらしてもらえばいいと被害者家族をあおりたてる風潮がある」と著者は指摘する。


一方、多くの被害者家族を取材した著者は言う、「被害者家族は皆加害者への厳罰を望んでいるかといえば決してそうではない、周囲がそう決めつけることが被害者家族の負担になることもある」と。「死刑は殺人を肯定する意識を国民に植え付け殺人や暴力を助長することになる」と被害者家族が思うことが多いからだ。


日本の死刑制度の問題は絞首刑で執行されることにもある。


絞首刑がどのように執行されるか最近TBS報道特集でも残虐性が報じられたがいままで国民に知らされることはほとんどなかった。


「死刑囚は当日その執行を知らされる。死刑執行室に連れられ縄を首にかけられる。

足元の床が開き死刑囚は階下に落ち、つるされる。その間15分から20分」。


米国での死刑執行の薬物注射に比べて残虐であることは確かだ。


絞首刑が残虐な刑ではないとしたのは1948年の裁判判決で火あぶり、はりつけ、さらし首、釜茹でにくらべたもの。但し時代のそぐうかも記された。


2011年判決では執行に伴う精神的肉体的苦痛は甘受すべきものとしたが絞首刑は明治憲法制定前の大政官布告の中にある1873年に記されたもので140年間の法整備を怠った立法の不作為とされた。


民主党政権で議論が始まったが自民党政権になって議論は必要なしとなった。


ここでもLGBT法案に反対し、入管法で難民制限した自民右派が強く影響を及ぼしている。


現在死刑に次いでの重刑無期懲役の仮釈放は平均36年、近年長期化している。50年以上刑務所に入っている服役囚も珍しくはないということも考えなければならないだろう。


現在無期懲役者は1800名前後で117名の確定死刑執行囚がいる。


服役囚はマイノリティーだ。犯罪は償わなければならないが服役囚にも人権がある。

死刑執行が犯罪抑止にはなっていないのはEU事例が示している。


今世論では少数だがボクは日本も死刑廃止に向かうべきだと思う。



# by willfiji | 2023-06-16 14:52 | 読書 | Comments(0)

「武田信玄・風の巻」(読書no.448)

「武田信玄・風の巻」(著・新田次郎)(読書no.448

「武田信玄・風の巻」(読書no.448)_a0199552_17124270.jpg
NHK大河ドラマを見ていたら武田信玄が気になった。


大河ドラマ「どうする家康」では三方ヶ原で織田・徳川連合を破った後間もなく病死したと歴史通りに展開された。


阿倍寛演じる信玄はどのような人物だったかと興味を引いた。


信玄の死はその後3年は秘され室町幕府は信玄をその間も頼りに信長と対峙し結果滅することになった。


NHK大河ドラマの中で明治維新とともに題材とされる戦国時代の武将たちのことは少年のころから何度もその物語に触れる機会があるが信長、秀吉、家康ほど信玄は身近ではなかった。


「風の巻」は応仁の乱から徳川幕府成立の100年余りの戦国武将の中で上杉謙信とともに歴史のわき役だった信玄その人の生い立ちから謙信との出会いまでを描く。


信玄はまだ武田晴信であり謙信は長尾景虎だ。


晴信の父信虎は甲斐を統治した優秀な武将だったが歴史上では悪役だ。

信虎を悪役にしたのは戦乱を収めた家康が信玄に心酔していて徳川時代に信玄は英雄とされたことが今に伝わったということがあるらしい。


父信虎を姉の嫁ぎ先である駿府今川義元氏の下に幽閉し甲斐の領主になった信玄にとって信濃の地を収めることが喫緊の課題だった。


信濃は現在の長野県、多数の豪族が合従連衡を繰り返していた。

信玄が先ず攻めたのは諏訪だった。諏訪には諏訪神社があってその神主が代々その地を収め領主となっていた。


信玄はその氏子であったが信濃を収めるには諏訪の地が必要だった。

諏訪領主の諏訪頼重は優秀だったが名門故の冷徹さもあって人望が薄かった。


諏訪を手にした信玄は領民や諏訪氏に仕えた者に寛大だった。


領主と農民の取り分を平等にする55民を取り入れた。

信玄のこのやり方を家康も見習ったといわれる。農民が納得する。

64民になると農民の暮らしは疲弊し一揆になることもあった。


信玄が次に向かったのは佐久だった。佐久は勇猛な武将が多い、信玄の下に来る者、信越の地に君臨する村上氏の力を頼って信玄に立ち向かう者に分かれた。


本は佐久での戦いを詳細に物語る。その地に点在する城主の動きがあって戦国の世の悲喜劇が織り交ざる。


大河ドラマでは「風林火山」の主役は信玄ではなく山本勘助だった。その勘助が活躍する。勘助は今川氏が武田氏の動向を調べるために送った密偵だったが信玄に捕らえられる。信玄は勘助を助命し勘助は武田氏に仕えることになった。これが通説だが勘助は架空の人物とされることもある。


信玄の佐久の侵攻は勝敗が定まらなかった。陥落した佐久衆への仕置きは諏訪の時と違って残酷なものだったことが統治を遅らせた。

見せしめのために数多の首を晒し、兵士は金山へ送られ強制労働者とした、女官たちは遊女に売り飛ばした。佐久への処遇が佐久の民の憎しみを買った。諏訪の時とは違った。


信濃侵攻を更に困難にさせたのは村上氏の衰退の中で台頭してきた上杉謙信の出現だった。


小説は信玄を囲む女性たちを登場させ彩りとする。


最初今川氏の推挙によって正妻になったのは三条という公家の娘だった。不美人で気位が高く信玄と心が通じることはなかった。


信玄が愛でたのは二人の女性、里見と湖衣姫。


里見は豪族小笠原氏の娘でその美貌は今川や北条まで知れ渡っていた。領主からの恋文が絶えなかった。女でありながら武道にも長け騎馬の姿は天女にも思わせた。


湖衣姫は諏訪氏の娘。黒髪と瞳が醸し出す女性らしい魅惑に加えあどけない振る舞いは里見と同様の美貌を備え信玄を虜にした。


信玄は今川との間に一子を設けたが信玄の後を継いだのは湖衣姫の子勝頼だ。

信玄は三方ヶ原の戦いで織田・家康軍に勝利したが信玄が亡くなって勝頼が率いた長久手の戦いでは大敗する。


勝頼は武田氏の滅亡を招いた将として低評価だが評価は書き手によって変わる、真に受けることはない。歴史を知るとは文献だけでは史実は明らかにならないとわかって上でのこと。

信玄の旗印の「風林火山」はかっこいい。速きこと風の如く、しずかなること林の如く、侵し掠めること火の如く、動かざること山のごとし。信玄の人気はこの言葉からだ。

「人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵」。ボクはこの言葉の方に惹かれる。


信玄の史実も重要だが遺したとされる言葉の中に心に響くものがあればそれが歴史を学ぶ面白さだと新田文学から改めて知ることになった。



# by willfiji | 2023-06-08 17:18 | 読書 | Comments(0)

「気候民主主義」(読書no.447)

「気候民主主義」(著・三上直之)(読書no.447)次世代の政治の動かし方

「気候民主主義」(読書no.447)_a0199552_11355575.jpg

気候変動やエネルギー問題に危機感を抱いている人は多いにもかかわらず日本では選挙では争点として取り上げられない。

「人類が許容できないレベルに達する気温上昇を産業革命前に比べて1.5度未満に抑えるために2050年までに温室ガスの排出を0にする」という人類の共通テーマに真剣に取り組むべきなのに日本はその姿勢が見られない。


原因は既得権を守ろうという利益政治が地球規模にひろがり世代を超える問題をかき消していることによる。


代表制民主主義が機能不全に陥っているからだと著者は新しい政策決定の制度が必要でそれを「気候民主主義」(著者の造語)と称してこの本を著した。

脱炭素社会の実現に学校ストライキから立ち上がったグレタ・トゥーンベリさんに代表されるように欧米の多くの若者の行動が政府を動かしている欧米に比べ日本は世界環境会議でも化石賞という不名誉な烙印を押されている現状がある。

著者は欧州で行われている気候市民会議を代表民主制に代わる新しい政策決定制度の芽になると紹介する。

イギリスの例が記される。イギリス国民6700万人のうち100人をイギリスの国民特性の割合で選び出し、テーマに沿って討論型世論調査を行う。


参加者にテーマに対しての知識を持ってもらうために様々な分野からの専門家からレクチャーをする。その後、参加者同士の討論をして政策に反映するというもの。


参加者の意見は会議の前後では劇的に違う。

イギリスではこうした市民会議から提案された149項目のうち146項目が法令化された。

著者は日本でも民主党政権時代に導入され遅れていたわけではないと導入の可能性について指摘する。20129月討論型世論調査や世論によって2030年までに原発稼働をゼロにするという方針が決まった。気候民主主義が初めて実施された。


だが残念なことに同年12月安倍政権誕生によって非現実的とされゼロベースで見直すことになってしまった。国民的議論の結果は安倍政権によって顧みないことになったのだ。

安倍政権はことあるごとに国会を解散し一強化を進めた。


野党に陥落したことが余程堪えたのだろう。数は力、多数決こそ民主主義だと日本の民主主義を歪めた。多様な意見を取り入れながら折り合いをつけ最終的に多数決で決めるのが民主主義だが安倍政権はことごとく民主主義を壊した。


もちろんそれは政治に無関心、選挙に行かない国民の責任でもある。


既得権を守ろうという人と安倍氏のコアな支持層である皇国史観を専信する人の国民の20%でしかない投票数で国会議員の過半数を得ることができるという結果となった。


ボクは日本の政治は今絶望的だと思う。軍事費倍増や原発再稼働を60年に延期するなど日本の将来をどのような国にするのか提示することなく政策が決定されている。


少子高齢化によっての人口減はこの1020年で来るのにその時の国民のくらしをどう守るかといった喫緊の課題に政治は真剣に対策を立てていない。


恐らく日本はこれまでの30年と同じように衰退の道を歩むと思う。


著者をはじめ日本の賢者たちが新しい政治制度を提唱するのはボクと同じ危機感からだと思う。代表民主主義がもはや機能しなくなった日本に新しい民主主義が必要だと思う。


もちろんそれは間違っても今勢いがあるという「議論は無用、民主主義は多数決」という姿勢が目立つ維新の主張とは相いれないものだ。



# by willfiji | 2023-05-27 11:40 | 読書 | Comments(0)

生物から見た世界(読書no.446)

「生物から見た世界」(著・ユクスキュル)(読書no.446

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生物から見た世界(読書no.446)_a0199552_17205280.jpg
訳者の日高敏孝氏は動物行動学者。戦時下の中学生だった時、この本に出合ったという。


その時手にしたのは1942年に翻訳されたもの。

著者は1864年エストニアで生まれたドイツ人、1933年この本を著した。194480歳までの生涯は前回このブログで記した牧野富太郎に似て波乱万丈の人生だった。

その後1973年新訳が発行され。日高氏が思いをこめてこの本を訳したのが2005年。

時代のニーズもつかみ版を重ね、ボクが手にしたのは201924刷版だ。

訳者が用いた「環社会」という言葉がこの本が今輝く意味を著す。

「環境」は現在人類の大きなテーマだが

著者は「環境」は客観であって主観ではないという。

主観的に見なければ本質は理解できないと主観的にみた環境こそが本質を見抜くと主張した。「主観的にみた環境」は特異だから英訳できず訳者はそれを「環社会」と訳した。

この本は「動物には世界がどう見えているかではなく彼らがどう見ているか」が書かれている。どう見えているかは環境で客観だがどう見ているかは環社会で主観だ。

当時ユスキュルの主張が受け入れられなかった理由は科学は客観的なもので主観的ではないと一般に考えられるからだ。


ボクも「科学的根拠」が正しい結論をもたらすと「客観性」こそ冷静な判断の基になると思っていた。


この本に出合ってそうとも言えないと考えを改めるべきだと思うようになった。

近代的動物行動学を確立したコンラッド・ローレンツも「動物の行動を理解するには彼らがどうみているかと主体的に考えなければならない」とユクスキュルの主張を示したことに納得したからだ。

本は様々な例をあげて動物がみている環社会を記す。

イヌが見ている世界と人間が見ている世界のカラーの写真はボクにとってもわかりやすいものだ。


我が家の2頭の兄弟犬はボール遊びが大好きだ。一つのボールでは取り合ってケンカになることもある。そこで兄犬用は赤いボール、弟犬は青いボールで遊ばせた。やがて赤青同時に投げてもそれぞれ自分のボールを持ってくるようになった。

人間と犬が見る色とは違っている。ユスキュルによれば犬は赤は赤く見えるが青はグリーンに見えるようだ。兄弟犬にとってボールの色は赤と青ではなく赤とグリーンなのだ。


本はその他動物の様々な知覚が人間と違っている例をあげる。

動いているカマキリをみつけられない捕食者の鳥はカマキリが動くと素早く捕まえる。カマキリなど昆虫が死んだ振りをするのはこのためだ。

密閉したガラス容器の中でメスを呼ぶために鳴く雄マウスには見向きもしないメスのマウスはスピーカーから聞こえるオスの鳴き声に反応してスピーカーに寄っていく。

時は一瞬が続いたもので一瞬前は過去になる。人間にとって一瞬は18分の1秒だという。一瞬の時間は動物によって違う。早い速度で時が流れるものもいれば遅い速度でのものもいる。かたつむりの歩きは人間から見ればノロノロだが彼らにとっては速い速度だ。

イヌが歩く時はその動物がこの足を動かすがウニが歩く時はその足がこの動物をうごかす。読むほどに面白い例が記述される。

「人新生」と言われる時代になった。人類が地球の環境を変えているからだ。

このままでは地球が危ない。46億年前に出来た地球。

生命の誕生の35億年に終止符を打つのは人類の営みからかもしれない。

地球温暖化という脅威が目前に迫っていることを知りながら人類は何もしないのだろうか。

欧米の若者たちが立ち上がっているが日本の若者の多くは無関心だ。日本はここでも遅れている。

もっと動物たちに興味を持って「環境」が「環世界」であることを知れば多様性とは何かがわかるはずだ。それが正しい判断ができるリテラシーになるはずだ。



# by willfiji | 2023-05-15 17:25 | 読書 | Comments(0)