空のように、海のように♪


パピヨンパパの思うこと
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戦う動物園

戦う動物園」(著・小菅正夫。岩野俊郎)旭山動物園と到津の森公園の物語。

旭山動物園の成功物語は幾度となく聞いていたが、到津(いとうず)の森公園のことは知らなかった。この両園の園長は同じ年の親友でもある、北海道と福岡県でという北と南で同じように閉園の危機に直面し再興の道を切り開いた。両園長の語る言葉は、やり方こそ違うが、動物の命の大切さを子供達に伝えるという使命に対する責任感の強さに裏打ちされたどちらも引けを取らないものだった。
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旭川動物園は行動展示で一躍有名になったが、小菅園長のこの構想は何年も訴えていたが市長が変わるまで耳さえ傾けられなかった、動物園への投資はドブに捨てるものと思われていた。
園長の不屈の魂もすごいが市長という権限を持つ人が動物を理解するだけで様子は一変した。

到津は西鉄が経営していたが採算が悪化して閉園を決めた。市民が立ち上がり、行政が経営することになった。そこには明治より引き継がれた林間学校という文化があった。動物たちが子供に与える命のつながりを知る文化を人々は無くしてはならぬものとして地域の知恵が結集された。サポーターやボランティアと園が一体化して行政に負担をかけない園が生まれた、園長の人柄がパワーとなり到津の森公園は生まれ変わったのだ。

ボクも動物園ボランティアの活動を通して様々な事を知った。
動物園にはもはや見世物小屋ではない役割がある、平和を伝える多様な生き物の命の保全と保護が重要になっている。
その中にあって、動物園は持続可能な運用を条件づけられる。企業と同じような合理化の手段は費用のかかる動物の排除や非正規飼育員採用や正規雇用飼育員であっても定期異動が行われ固有の動物に対してのスキルが蓄積されないといった例など動物にしてみれば理不尽な事が行われている。

ボランティアとは行政に代わって労力を提供するものだから到津の森のように園とお互いに補完関係でなければならないが、ボクがやっている活動では動物園と動物園ボランティアでは動物園側の官僚体制にテリトリー意識があるのか融合できていないのが現状だ。

ボランティア組織にも問題がある。本来なら動物好きが動物園の役割の一端を無償の労力を提供するという志で出来上がったものだが長く続くと管理組織ができ企業のような競争にさらされる事がないから刷新が進まない。長く役割を担う古い人は動物の事より管理のための活動のみ行うボランティアが行政と折衝するから志が行政から見てますます希薄になる。

「戦う動物園」はそんなことを乗り越えていく、乗り越えなければ閉園になるからだ。都の動物園はそんな状況にはない。

ボクが自分に言い聞かせていることがある、つい口を出したくなる自分がいる。ボランティアと企業は違う、ストレスを避けて好きなことに集中すべきだと自戒している。
志を大事にしたいと思う人たちが動物園にもボランティア仲間にもいる、ボランティア3年目を迎える今、見えてきたことを考える時にしたい。

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by willfiji | 2016-03-29 11:12 | 読書 | Comments(0)

資本主義に希望はある

資本主義に希望はある」(著・フィリップコトラー)マーケティングという概念を企業ばかりではなく公共にも取り入れさせた著名な経済学者が今を問う。
コトラーの教えはボクのビジネスの道に大きな影響を与えた。企業活動を消費者視点で徹底的に考えるという姿勢を通して企業は人類の幸福に貢献しなければならないと持つべきビジョンを一貫して指し示したからだ。
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大戦後、順風満帆な世界経済にも大きな波が押し寄せた、日本はその中で波を乗り切って高度成長に至ったが、バブル崩壊とリーマンショックによってその環境は一転する

新自由主義が資本主義の中で芽生えその功罪が見え隠れする、ボクのビジネスの指標であったコトラーはこの時代をどう読むのか、見事に答えてくれた書であった。

アメリカの大統領選挙での争点は格差の問題だ。トップ1%の富裕層が富の46%を握る、
人類70億の中の50億が貧困層であり世界的にも格差はますます広がっていく。
サンダースは行き過ぎた資本主義を社会主義に転換すべきと支持を拡大し、トランプは富を持つ側にいながら持たぬものの不満をより持たぬものの犠牲だとして煽動し救い手のない市民の感情を支配している。

日本もそれほど極端ではないがよく似ている。アベノミクスや派遣法改変に見られる政策は格差拡大であって富めるものはより富み貧するものはより貧するという政策で、
新自由主義の流れの中にあるものだ。経済的な富を優先する姿勢は原発再稼働でも明らかだ。富を優遇する政権は普通なら選挙で負けるが日本の貧者もトランプ支持者のようにつける薬を求めて一番強そうな薬に行き着く、つける薬もないのが現状だ。

「資本主義の欠点は幸福を不平等に割り当てること、社会主義の長所は不幸を平等にわりあてること」とチャーチルの言葉を引用してコトラーはサンダースやトランプではない道を「資本主義の希望」として提案する。

人はある程度の収入になると収入による幸福度は鈍化するという、物欲は限りないが幸福度にはつながらない。トップ企業のCEOや芸能人、スポーツ選手などの富裕層は優雅な別荘を持ち、とびきり贅沢な暮らしを行い、自家用ジェット機を持つ者までいる。だがその消費量はたいした額ではないと氏は指摘する。ほとんどが資産運用にまわされお金がお金を生むが幸福とは関係がない。
もしこのお金が一般の人々に回ったらそれは消費につながりお金が生きてくる、それがなくなってしまったのが格差社会だ。

氏は富裕層にもっと税金をかける必要があるが取りすぎないようにともいう、社会主義者とは違う所だ。「子孫が自由に仕事ができるくらいの資産は残すが子孫が何もしなくてもいい資産は残さない」という考え方だ。

幸福を考えた行動を氏は提案する、それは決して清貧にまで至らないシンプルな生活だ
1芸術や文化、または宗教と深くかかわる生き方
2他人を助け、世界を改善する生き方
3欲求と所有物を少なめに抑え、簡素に生きると決めた生き方。

氏は結ぶ、「資本主義の欠点のほとんどを解決できる見込みはないと考えている人も多いだろう、だがこれらの問題を喜んで話し合い、妥当な解決策を生み出して世間の合意を得たいと考える頭脳明晰で熱意を持った人が大勢いりと信じている」と。
氏は楽観的だ、この楽観こそボクが氏に学んだ一番の事だ。

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by willfiji | 2016-03-23 18:05 | 読書 | Comments(0)

哲学者とオオカミ

「哲学者とオオカミ」(著・マーク、ローランズ)書名通りの期待に答えてくれた本。
著者は20代の頃、新聞広告に引き寄せられて、96%オオカミの血を継ぐイヌを飼う、
実はその犬は本物のオオカミだった。100%オオカミは売買難しいから、そのブリーダーは広告上、4%誤魔化した。
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日本にもオオカミの血を引くミックス犬は結構いるし、個人でオオカミを飼っている人もいる。

プレニンと名付けられたこのオオカミとの11年を哲学者は本にした。
犬を飼っている人なら誰でも犬によって気づかなかった事を気づかされた経験を持つだろう。ボクもそうだが、その気づきは言葉にならないのだが、哲学者の著者はそれを言葉にしてくれた。ボクの期待はそこにあった。

何万年も前、オオカミの中でも人馴れする穏やかなオオカミが飼いならされて犬になった。
プレニンを飼うには相当の訓練が必要だ。著者は哲学の学者でラガーマン、運動させて、このオオカミのボスになる。アメリカからイギリス、そしてフランスと仕事の場所は変わったが学者という職業がいつもプレニンと一緒にいる事を可能にした。ほとんどリードもつけないで歩き、ジョギングもした、日本の事情を考えればうらやましい豊かな生活環境を欧米は持っている。訓練さえしっかりすれば犬はノーリードでいいのだ。

著者はプレニンの他にも2頭の大型犬がいた、3頭と1人の群れの生活は著者の幸せな世界を作っていた。
著者は自分をサルと呼ぶ、オオカミとサルとどっちが偉大かこの本はプレニンとの生活を通していつも問いかける、アリストテレスやニーチェ、ハイデッカーとともに著者の考えを披露する。

ヒトの優れた知能の中心にはたくさんの企みや嘘といった邪悪性がひそんでいる
イヌと暮らす中で最もすばらしい事はその純真さに触れることだ、イヌたちと群れの中で一緒に眠る時、かけがえのない安らぎを覚えるのはヒトがサルになる前に持っていたものを見出すからだろう。

イヌとの別れは特別な意味をヒトにもたらす。愛したイヌが死ぬということはイヌとすごした最高の瞬間をそしてその未来を奪うことだという作者の哲学的見解が胸に刺さる。
そのことを知らずに済むイヌたちの方がヒトより優れて幸せではないかと思うに至る。

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by willfiji | 2016-03-14 17:43 | 読書 | Comments(0)

ひとりぼっちを笑うな

ひとりぼっちを笑うな」(著・蛭子能収・えびすよしかず)
タイトルとその人に惹かれて読んだ。ちょっとひと時、気持ちが軽くなる本だ。

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著者は漫画家でタレントとしても有名だ。ボクより年上だが、「少年」でアトムを読み、
「少年マガジン」や「サンデー」、「ジャンプ」で育ち、上京して出会った「ガロ」を知ったことでは共通の時代の中に暮らした人だった。

著者の生き方はとにかく目立たないようにすることで、出演した番組の打ち上げの飲み食いを嫌う。昔から仲間と飲むこともなく1人でいることが好き、極端な内向的性格だという。

ボクもどちらかというと一人が好きだったからその気持ちはよくわかる。
著者と真逆なのは、著者は内向的な所がいつの間にか売りになったが、ボクは社会人として、積極的に外向性を持つ自分を作ったということだ。引っ込み思案になりそうな時、それに鞭打つ自分がいた。人間は群れる動物だからだと、ひとりぼっちの人には声をかけ仲間に引き入れた。飲み会に来ない人にも断られてもドタキャンされても声をかけた。とぎれがちな会話を盛り上げようと常に努力していた。それが社会人として、大人として当然の振る舞いだと思っていた。

この本を「気楽でいいなぁ」と読み進むうちに、著者はいつも心の中では群れを求めていることを知った。ボクは賭け事を全くしないが著者の競艇好きは有名だ、ボクは繁華街にひとりで行くことはないが、著者はいつもブラブラしているという、その雑多が好きだという。ボクはその雑多は好きではない。

社会人として積極的に外交的ふるまいをしていたボクは、積極的であり得たのも積極的であったのも地位によることが多いということをリタイアして痛感している。
人は強い者に依存する、群れならリーダーに従う習性を持つ、依存する人はリーダーが期待以上の力を持たないと知ったら従うことをやめる。群れから離れ裏切ることすらする。
利害でつながった群れはそんなことが繰り返される。

ひとりでいると傷つくことはない。「ひとりぼっちを笑うな」はそんな心境にさせてくれる。
傷ついてもいいから積極的になるというエネルギーは加齢とともに失われて行く気がする。


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by willfiji | 2016-03-07 18:39 | 読書 | Comments(0)

田中正造

田中正造」(著・小松裕)
足尾銅山鉱毒問題に一生をかけて取り組んだ田中正造とはどんな人であったのか、3,11東日本大震災後の日本は明治時代の彼の生き方が注目を浴びる事になった。足尾の教訓が生かされずに水俣問題が発生した。今、原発再稼働の道を歩む。
田中正造は国会議員の職を投げ打って、足尾銅山鉱毒被害の地谷中村で最後まで戦い71歳で没する。その生き方は確かに今に生かされるべきものだ
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中国の公害状況を見て日本も何年か前は同じだったと考える人は多いだろう。
水俣病や公害に対して生命の危機を感じた日本人は環境汚染が身に染みて世界でも有数な省エネを実現した。河川は浄化され、工業地帯から有毒ガスは激減した。そこで起こったのが、東日本大震災である。

クリーンエネルギーともてはやされた原発の姿は自然破壊の魔物であった事を国民に知らしめた。
公害を克服した日本人はこの原発をどうするのか、廃絶への道で意見が別れる事になった。廃絶へのベクトルが示されたにも関わらず、できるだけ長く使おうという考えが政権の本音となった。原発事故は人類の問題なのに日本の世界に売るという考えは変わらなかった。その現状を田中正造が知ったら何も分かっていないと嘆くだろう。

正造は言う、「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さず」だと。
足尾銅山がある渡良瀬川は利根川へと流れる、頻繁におこる洪水は利根川水域すべてに鉱毒汚染を広がる、利根川は江戸川へ流れていた。江戸時代から明治にかけて銚子へ流れる治水工事が行われた。高堤防の高低差の少ない地に川を作ったために洪水が頻繁になった。この治水のおかげで、首都東京が汚染されることが逃れ、足尾鉱毒問題は採掘量が減って閉鎖されるまで続くことになる。

全国の河川の治水は殆どが高堤防によるもので、小さな水害は減ったに見えたが大洪水は飛躍的に拡大した、そのことを田中正造は見抜いていた。水は高きから低きに流れるもの、自然に逆らってはならないのだ。


原発問題に通じる考え方を田中正造の考え方の深化に知ることができる。初期の田中は鉱毒被害の農民たちを銅山と戦う事だけで守ろうとした。富国強兵のために鉱毒を流しながら採掘する事へ反対の声をあげることだった。耕作地を荒らされた人たちの中には安い保障で村を去る人たちが相次いだ。中心の谷中村は治水地として国有化された。人々はそこに住むことができなかったが、残る人たちがいた。鉱毒だけと戦う人ではなかった。

残った人たちを結集すべく田中正造が反対運動を起こしたとき、その人たちの動きが田中を真の環境運動家に変えた、村に居残った人たちは先祖から受け継いだこの土地を離れたくなかったのだ。その本質を知って田中正造は議員を辞職した。ここが深い。

政権はミサイル攻撃に備えると言って違憲の安保法案を通した。
その政権がミサイルの標的となる最も危険な原発を再稼働させている。

田中正造は豊かな自然の中での暮らしを守ることが政治家の使命であって天地とともに生きることが
人の生き方だと説く。同じ理由で軍費を家計に、そして日本が世界の先頭に立って戦争しない国になるために使えと日露戦争に勝利したときに演説している。
正造の主張はときを超えて今に生きている。

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by willfiji | 2016-03-05 18:10 | 読書 | Comments(0)