空のように、海のように♪


パピヨンパパの思うこと
by willfiji
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知の発見

知の発見」(著・中村桂子)。なぜを感じる力。
生命科学を学んだ著者が行きついたのが生命誌研究というものだ。この本は著者が高校生や大学生に語った記念公演がもとになっている。言葉は易しいが中身は濃い。

   [生命誌絵巻・38億年の生命の図]
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人として生きる時、大自然の一部だと思って生きれば考え方が変わってくる。

地球が生まれて45億年、火の塊だった地球から生き物がうまれたのが38億前だ。
1953年にDNAが発見された。生き物をつないできたのがこのDNAだ。書いてしまえば「なんだ、」ということだが、すべての生き物がつながっていると思うと、
こんなにすごいことはないと驚愕する。生き物はみんな兄弟姉妹なのだ

著者は戦争なんてやってる場合じゃないと生命誌を語る。
尖閣だとか竹島だとか北方領土だとか、生命誌の視点からいえば あまりにも小さい。

イチジクコバチの話がおもしろい。原種に近いイチジクにこのコバチは卵を生む。
その中で生まれた♂と♀が交尾して♀はイチジクに穴を開けて飛び立つ、♂はその時死ぬ。♀は体に花
粉をつけて違うイチジクの中で卵を生む、イチジクの受粉を手伝っている。みごとな共生だ。

地球には何千万種の生き物がいる。昆虫が死んだら鳥が生きれない、鳥が死んだら害虫だらけになって人は生きれない。草食獣が増えすぎても減りすぎても森は姿を変える、大雨が土石流となり海は死の海になる。生物とはすごいものなのだ。自然を壊すとは人間を壊すことになる

生き物のことを考えると必ず矛盾にぶつかると著者は主張を絶対化しない。悩み、よい答えをみつけることだと答える。
生きることは悩むことだがそこには良い答えをゆっくりみつければいいのだという優しさが流れている。。

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by willfiji | 2016-01-28 18:10 | 読書 | Comments(0)

自己を最高に生かす

自己を最高に生かす」(著・アーノルド・ベネット)。もっと自分の欲望に正直に生きていいという副題がある、与えられた寿命が尽きるまで絶えず物事に感動し何かに没頭して生きること、それが賢く生きることだと言われると、簡単な事ではないが共感が持てる
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特に考えさせられたことが二つあった。
一つは「怠慢ゆえの心配事なら大いに悩め」という事。もし原因と結果が両方ともどうしようもないことでしかも自分に責任のないことならそれをくよくよと悩むのは幼稚であり無益なこと、それを甘んじて受け入れめげることなく最善をつくすべきだという。
反対に心配事の原因が自信の行動や怠慢であって、ある程度まで回避できたり修正できたりする場合は大いに悩んだ方がいい、心配するのを知らない人種は責任感と危機感が全く欠如しているからだという。
人は悩みながら生きている、その悩みをもっと見極めれば、悩むべきか悩む必要がないのかまずは自分でわかることが悩み解消につながるということだ。

もう一つは相手の身になれば9割は円満解決という事。相手に不利な批判をしてはならないということだ。やたらと他人を裁くくせは人間の誰でもが一番身につけやすい愚かしい癖だと鋭く説く。裁こうとしている自分は何様なのだ。判決を下すあなたは、いったい何者なのだと、耳が痛くはなるが人間関係を築く上で心しなければならない大切なことだと痛感する。

そしてもちろんその時の疑問にも答えてくれる。左のほほを差し出すほど世の中は甘くないというのだ。人が人を裁くのではなく社会のルールに基づいて任命された人が人を裁く、そして幸福をおびやかす者に対しては守る手段を取らない者は怠け者だというものだ。
人を批判してはならないという事と矛盾しない。

社会のルールと照らして、そして自分の幸福を考えて言動することだ。

「あなたが生まれた社会は知ろうとすればするほど、理解すれば理解するほどいごこちがよくなる」と結論づける。
知に対する絶えまぬ興味とその中でどんなささいなことでもやるだけの意味と価値があると結んでいる。

自己を最高に生かすことは自分にしかできないことだ。心したいと思う、ボクの人生観に忠告をもたらしてくれた書である。

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by willfiji | 2016-01-24 12:44 | 読書 | Comments(0)

けもの道の歩き方

けもの道の歩き方」(著・千松信也)著者は猟を生活の生業としない猟師である。
しかも彼は猟銃を持たず罠で猟をする。
この猟は自分の家の食料になる、シカやイノシシが主な獲物だが、猟期になれば仲間とカモや雀といった野鳥も捕る。
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こういう人は動物好きでもある、罠にかかった動物にとどめを刺すその時いろんな感情が頭をよぎる、命を絶つ技術は上達しても殺すことには慣れないという。
好きな動物のいる森で猟を暮らしたいという気持ちはよくわかる。

オオカミがいなくなったこともあって野生のシカの害が問題になっている。イノシシやクマ、サルや特別天然記念物のニホンカモシカまで猟の対象になる。
猟師さんの多くは駆除するためにその資格を取ったわけではない、駆除は頼まれてやっている方が大半で著者と同じように自分の家族だけのために狩りをするといった人たちだ。
シカやイノシシにとどめを刺してその後素早く血抜きをして美味しく肉を料理することまでもが書かれている、ありがたく頂くことができればその命は無駄にはならない。

駆除された動物たちは大半が償却処理されて埋められ食料にはならない。ニホンシカは約250万頭いて46万頭が捕獲されるという、イノシシは90万頭いて40万頭が捕獲される。
被害にあった農家の人たちはかわいそうだと思いながら殺処分を依頼し、都会に住む人たちの多くは捕獲処分には否定的だ。

ハグレザルが町にきて大騒ぎとなり捕物が繰り広げられる、ニュースになったら殺すことはない。手負いのサルであっても生け捕りにして山に返す。サルは22万頭いて1万頭が捕獲処分されている、もちろん食料にはならない。

この社会に野生動物がいるということ、それを認めてオオカミに代わって間引くことも必要ではないだろうか、有り難く頂くことをもっと考えてもいいと思う。

ボクも素潜りでアワビやタコを獲った事がある、空気中で鳥撃ちしたこともある。もう少し若かったら旭山動物園の園長のように猟銃免許を取って増えすぎたエゾジカを狙ったかもしれない。もちろんそれを埋めたりはしない。

動物愛護と狩猟は相容れないものではない。この本は人と動物たちの関係を本音で語っている。

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by willfiji | 2016-01-16 17:54 | 読書 | Comments(0)

草枕

草枕」(著・夏目漱石)
あまりにも有名な出だしの文である。
「山路を登りながらこう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」
このお正月に何か心に響く古典が読みたいと思った時、ふとこの文章が頭をよぎった。

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漱石の本を初めに読みふけったのは高校時代だった。代表的な本は全て読んだ。
「ぼっちゃん」や「三四郎」は面白かったが「吾輩は猫である」はわからなかった。

当時尊敬する先生がNHKの「中学生時代」という番組の脚本を書いていた事もあって、担任ではなかったが文学や芸術について課外で色んなことを教えてくれた。
月1回は民芸や俳優座の芝居も観た。そんな中で漱石をボクはきっと背伸びして読んでいたのだと思う。そして40代の時にもう一度読んだのは「心」と「それから」とこの「草枕」だった。

あれから20年が過ぎて手にしたのが草枕だ。人には誰も一人旅をしたい時があるものだ。海の見える鄙びた温泉に行って、何も考えずに非人情の時を過ごすことができたらいい。
日露戦争が始まって世の中が騒がしくなった時、漱石の反戦は旅の中の出来事だったのだろう、田舎であっても様々な日常が漱石の前に立ちはだかる。
「坊ちゃん」と同じように余という主人公の画工は旅の僧侶の卓越は持たなかった。

誰だって一人旅して逗留した宿に出戻りの美しい人がいれば、無と考える僧にはなれぬはずだ。
那美さんが登場する。事業に失敗した那美さんの元夫も兵隊に志願した従兄弟も別々だが満州に行く、「帰ってくるな」と言う見送りの人たち、画工の心で漱石の思いが伝わる。

読後文に残しておきたい処がある。高校生のボクがどんな気持ちで読んだのか思い出せないが懐かしい。それは温泉に画工が浸かっていた時、那美さんが入ってくるシーンだ。
「余は女と二人、この風呂場の中にあることを覚った。注意をしたものかせぬものかの間に女の形は遺憾なく余が前に早くも現れた。みなぎりの渡る湯けむりの、やわらかな光線を一分子ごとに含んで、薄紅の暖かに見える奥にただよわす黒髪を雲と流してあらん限りの背丈をすらりとした女の姿を見た時は礼儀の、作法の、風紀のという感じはことごとく、わが脳裏を去って、ただひたすらに、うつくしい画題を見出し得たとのみ思った。」

このブログは備忘録でもある
この文章がボクを非人情の旅に連れ出す日はあるのだろうか。

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by willfiji | 2016-01-06 18:20 | 読書 | Comments(0)