空のように、海のように♪


パピヨンパパの思うこと
by willfiji
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
メールアドレス
お気に入りブログ
カテゴリ
以前の記事
最新の記事
いま憲法は『時代遅れ』か
at 2017-03-22 10:13
終わった人
at 2017-03-16 17:07
キャスターという仕事
at 2017-03-09 18:45
憲法という希望
at 2017-03-03 14:05
マッカーサーの二千日
at 2017-02-25 18:25
最新のコメント
紹介 日本語の起源..
by コトタマ学 at 22:03
ジョニー店長、動物達は何..
by パピヨンパパ at 21:10
目は、口ほどに…と、言う..
by Jony店長 at 20:08
大変参考になりました!!..
by 拓也 at 21:52
拓也君偶然ですね、弓張は..
by パピヨンパパ at 11:03
佳苗ちゃん、いいよ!幹事..
by パピヨンパパ at 10:24
突然のコメントすいません..
by 拓也 at 12:47
良いなぁ…月山!! 来..
by 佳苗 at 10:34
ジョニー店長。休みの考え..
by パピヨンパパ at 08:23
平田さん、   ご意見良..
by jony店長 at 21:48
最新のトラックバック
venushack.co..
from venushack.com/..
http://while..
from http://whileli..
http://www.v..
from http://www.val..
正義と信念のために
from 笑う社会人の生活
ドイツ皇帝の最後の宮殿で..
from dezire_photo &..
トキ 4羽の繁殖成功 多..
from ローカルニュースの旅
ライフログ
検索
タグ
人気ジャンル
ブログパーツ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

<   2013年 11月 ( 3 )   > この月の画像一覧


黄金海流

「黄金海流」は著者安部竜太郎の直木賞作品「等伯」とはちょっと違ったジャンルの作品だ。
等伯は画家等伯の生き方を書いたがこの本は江戸中期の経済小説といった感じだ
a0199552_11272255.jpg


白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき

と歌われた田沼意次が失脚し松平定信が権力を握るその時に残されていた田沼派側に立った筋書きで書かれている。当時未開の地北海道を管轄していたのは松前藩だった。先住民であるアイヌの人達から力でもぎ取った産物は江戸に持ってくれば莫大な富をもたらした、江戸に入れるには下田の港で税を払い、指定された商人を通す必要があって品目も品数も決められていた。管轄する下田奉行、下田の商人、江戸の役人との既得権益の世界があった。そんな中、伊豆大島の波浮港を下田に変わる江戸への通用港にする構想が持ち上がった。

既得権益を守る定信派の人達と改革によって新たな流通を作ろうとする田村派が戦う。

田村の失脚は財政難を打破すべく重商政策を取り改革解放を果たしたのはよかったがその利益を得たのは権利を獲得した新興の商人と権利を決める官僚で、賄賂がまかり通る社会になったことによる。

定信は清き流れを作ったが既得権益を守る保守派をかかえることになり時代が後戻りして財政が窮し成長なき社会になりつつあった。それが冒頭の歌になったのだ。
そんな中でも旧田村派が活躍して波浮港は開築され新たな世界を作り上げることになる。

黄金海流は今の世相に相似する。既得権益を打破し、競争社会によって強者が勝ち残るのは小泉政権時に重なる。田沼の時代のように賄賂政治にはならなかったが金融経済が主役となり貧富の格差を拡大した。一方弱者救済が主役になれば清貧が思想の原点になり清は正しくても多くの人が貧になってしまう

作者は二人の人物を通して人の生き方を説く。一人は波浮港開港によって大型船舶の行き来が活発となり流通によって国が豊かになると考えた人と新しい産業によって雇用が生まれ、貧困から人を救えると考えた二人だ。二人ともそのロマンに身を投じた
ひとつの体制が長く続くと人は権力あるものに寄り添い改革を嫌い我が身ばかり大事となる。その結果社会の成長が止まる。保守ではなく革新、貧ではなく豊、それでいて清である事をめざす事それは江戸の昔から変わらない。

[PR]

by willfiji | 2013-11-29 11:34 | 読書 | Comments(0)

幕末新選組・池波正太郎

もうそろそろ新選組から脱却しようかと思っていたが前回書いた新選組隊員の永倉新八が語る「新選組顛末記」を読んで新八に益々魅力を感じた作家池波正太郎が新八を主人公に「幕末新選組」を記したと知って、その本を読まずにはいられなくなった。

a0199552_16524716.jpg


はたして「鬼平犯科帳」の著者は新選組では目立たなかった新八をどの様に主人公に仕上げたのか同じ本を読んだ者として興味津津だ。
動乱の中で負け組のくじを引きながら新選組の名誉を回復したのは、大正まで生きて孫に伝えた新八の言葉があったことにもよる。
池波氏は薩長でもなく幕臣でも新選組隊長でもない新八の生き方を描く事によって歴史の流れに逆らうことができない人生であってもそれは泡沫の人生ではなかったと言いたかったのだと思う。

新八は近藤勇や土方歳三に比べ松前藩の江戸詰めの武士という身分の高い家に生まれた。
文より武が好きな新八は藩の能吏である父親の跡を継ぐ事を嫌い剣術の道を歩み新選組の同志となる

やがて近藤が隊長、土方が副隊長となり新八はその下の班長になるが育ちが影響してか近藤や土方の配下として振舞うことはなかった。

池波氏が新八に惹かれたのはこのことだと思う。生まれ育ちは品位やプライドを助成する。
新八は近藤や土方をどこか百姓として見下していた部分がある。
武士は宵越しの金は持たない潔さがあるが近藤や土方は隊がやっていけるようにプライドを捨てて金策に走ったりする。真の武士はへつらうことをしないから可愛げがないし寵愛を受ける事がない。

鳥羽、伏見の戦いに破れ江戸に退却し新選組を再構築しなければならなくなってから特に近藤との溝は広がる。近藤が成り上がり者に見えてくる。
統率力が衰えるほどに求心力を求め居丈高になる事に新八は反目する。追い込まれるほど近藤は傲慢になり最後には土方とも別れ、官軍につかまり処刑される。

池波氏は近藤は新選組によって成長期には器量も磨かれていくが衰退と同時に虚栄を張り真の友すら失う事になったと描く。
新八は生き延びて、近藤、土方の石碑を建て近藤の行動を胸の内に治める。

そんな新八の人生を池波は賛美したのだ。新八は動乱の世にあって決していい星のもとではなかったが、自分の生い立ちの中で生まれた純な心にはむかうことなく生きたのだと思う。

新選組関連の書を一挙に読んだが中締めとして新八という共感できる人物に会えた事、池波正太郎に感謝したい。

[PR]

by willfiji | 2013-11-15 17:00 | 読書 | Comments(0)

永倉新八・新選組顛末記

新撰組の近藤勇は我が家のふたつ先の駅である飛田給で生まれた。
子母沢寛は取材した昭和初期に
「京王線に乗って新宿追分から調布を通って飛田給の何もない駅に降り立った」と書いている。
そんなことを読んだら新撰組がますます身近になった。更にもう1冊読んでみることにした。

その本は近藤勇と共に生き最後は意見の違いから分れ、大正時代までも生きのびた永倉新八が新撰組の生き証人として書いた「新撰組顛末記」である。

a0199552_17121256.jpg


実際は新八の息子が編纂したもので、子母沢の書「新撰組始末書」と同時期この本は発刊されている。
通常始末書は罪を償うために書くもので顛末書はいきさつを書くものだと思うが、この2つの本にその意図は見られない。同じ事件であっても違った内容で書かれている所がいくつもあるが、どちらを信じるかという事より大筋を歴史が示したと考えるべきで違いは許容の範囲だ。

永倉新八がその場にいたから正しいかといえばそうではない。
人間は過去をしばしば自分に都合のいいように作り変えるからで、それは誰にもあること、
自分が正しいと思わないことを人はしたくないししてこなかったと思いたいからだ。

永倉が新撰組をずばりいいあてていると思う文章がある。

「新撰組は勤王党には違いないが、幕府の恩顧を食んでいたのでいつしか佐幕勤王党という当時の大勢に適合しない位置に立った。永倉新八などはたんに新撰組のために死命を賭すといった漠然とした考えでこの戦争に参加していたのである。おおくの隊士もまた大部分これと同じ考えで奔走していた。」

これこそが歴史だ。今、「歴史認識」という言葉が特に日韓中間でさかんに使われている。
近隣友好関係がなによりも大事だとしながら国のリーダーはナショナリズムに立つ方が国民の支持を集められると現実に沿って行動する。中韓の民度が低いとの意見もあるが日本のヘイトスピーチをみればどの国も変わらない。

人間の行動は環境によって変わる。善し悪しや損得ではないことが多いが取った行動に対して歴史がどう評価するかを考えることが大事だと思う。

永倉新八は自らの思想なき生き方を恥じたのではなく人間の普遍性を語り後世に歴史から学ぶということを伝えたのではないか?長い命に恵まれた者は人生の最後に自分の取った行動に決着をつける時間を与えられたと感謝すべきと語りたかったのではないか?と思う。

彼は袂を分かった近藤勇と土方歳三の墓を建立しその横に自らの墓石も置いて静かに眠っている。

[PR]

by willfiji | 2013-11-06 17:20 | 読書 | Comments(0)