空のように、海のように♪


パピヨンパパの思うこと
by willfiji
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カテゴリ:Thnking( 79 )


2015・謹賀新年

箱根駅伝が放映される合間、遊ぼうよ!としきりにおねだりする愛犬ライクルに負けて、多摩川でフリスビー、兄犬パルティーと共に富士山をバックに撮影した。
今年も良い年になりますように!

正月の富士山は美しい、なだらかな稜線は活火山であることを忘れさせる。広い裾野は日本人の心に通じる。
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休火山という言葉を使わなくなったと聞いた。人間の歴史では休み中でも地球の歴史では活動しているという。的を得た見解だ。

高度成長が終わって成熟社会を迎えた中、時代のキーワードは画一化から多様化に変わった。多様化には違いがある。ぶつかる危険がある。危険を回避する知恵を持つことが問われている。

皆同じ方向を向いて同じ意見であるという場合や少し違うけど許容範囲だから妥協するというような状況は世の中には多い。これで物事が潤滑に進むのだけれど違う意見や違う方向がある時の対処の仕方や考え方が問われるという事だろうと思う。

物わかりのいい お人好しになる必要はない。もちろん戦争やいじめなどやってはいけないことに組みされてはならないことは言うまでもない。
それぞれの別の価値観を認めると同時に自分の価値観をしっかりと明言できることが大事ではないだろうか。

裾野が広い富士山も活火山なのだ。
言葉に出してしまって少なくない失敗をしてきたボクが年頭に思う事は裾野を持つ事だと思う。
違いがあっても相手が許容する言葉で語れるようになることだ。それでも難しい時がある。

春になれば霞がかる富士。時には姿をくらます術も合わせて持ちたいと思う。

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by willfiji | 2015-01-02 18:50 | Thnking | Comments(0)

2013・夏休み

8月15日から22日まで7泊8日で夏休みキャンプに行った。最初4泊は福島レジーナの森、そのあと3泊は山形月山弓張平キャンプ場で犬仲間M家とI家が加わった!とても楽しい1週間だった。

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そこで休みについて考えた。
休みというのは何かを休むわけだから、主ではない。
だが休みは安息日をキリストが設けたように人間として生きるために必要なことだ。
子供の頃、夏休み程楽しいものはなかった。野山を駆け回り、昆虫を追いかけ、
海や山に行って普段では味わえない体験をした。

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高校の時は友人と自転車旅行、ユースホテルを泊まり継ぎいろんな人と語りあった。3年生の時は長野の農家でひと夏を過ごし農業に少し触れて耕運機が運転できるようになった。大学に入って、テントひと張り持って日本海沿岸の海を泳ぎ歩いた時、山陰の海が気持ちよく泳ぎすぎて、捜索隊が出る所だった。
夏休みは僕を確実に成長させていた。
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社会人になり、高度成長時は休日がどんどん増えた、それでも欧米に比べればまだ少なく、
休みを怠けと考える風潮もなかなか消えなかった。

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高度成長が終わり企業環境が厳しくなると休みを罪悪視する経営者が出てきて、対抗すべき組合もいとも簡単に雇用と引換に休日返上を使うようになった。子供が成長して一緒に遊べず、休暇にやることがない人達が現れた事もそれを助長した。

管理職になったら休日返上しなければならない時は沢山ある。その時は黙ってやればいい。「休みを取るとは何事か」といかにも正論のように言う人はその前にやることがないかを考えない。人をコストだと考えているからそんな発言が出るのだ。ブラック企業と同じでコンプライアンスの問題だ。

長期休みは経営年度計画の中でスケジュール化して毎日何をやるべきかを考えられる組織を作る。それが企業の任務だ。真摯に働く人は休みを取る事で成長し企業にとってもプラスになる。

その場しのぎで休みも計画的に取れない会社は無理や無駄や経営者のブラックな考えがあるのだと僕は思う。

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by willfiji | 2013-08-25 11:06 | Thnking | Comments(7)

仲間

元部下のMは僕がリタイヤする以前に退社していたが、ずっと付き合いがあった。
リタイヤしてからも僕の部署の同窓会の幹事をしてくれたりして結構会っているのだが
たまには「差しで飲もう」という事になった。男同志はそれがいい。
多勢で飲むのもいいが差しで語れる人がいる事が重要だ。

僕は年上の人と話す時はできるだけ二人で話をした。二人だけだと人間性をごまかせない。
彼が選んだ店は前にこのブログで書いた、店主の娘さんを僕の部署で預かった事がある神田の超繁盛店の居酒屋。差しではあったがその店主も一緒の楽しい宴の席となった。


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人間のつながりについての話題が面白かった。僕の部署は新規事業でM達は初の新卒者として配属された。事業拡大に伴ってM達は主要ポストについた。

僕も新規事業と運命を共にする気概でひたすらその事業に邁進した
。社内では既存事業へ配属されたメンバーが巾をきかせ彼らは当初は肩身の狭い思いをさせたが次第に力を蓄えた。バブルが終わった時期だから成長よりも維持に会社の方針が大きく変わった。

その時僕が大事にしたのは「コミュニケーション」だ。人間、働く時間が一番長い。金銭だけのためにその時間を費やすのか?大事な人生だ!同じ釜の飯を食うメンバーを裏切るな!弱い者いじめするな!全国から集まる店長会議時は必ず懇談会を開いた。好きな仲間ばかりが固まらないように毎回ローテーションで席を変えた。おかげでコミュニケーション力のある集団になった。

そんな話題がテーマだった。Mは「昔の部下に連絡しても返事すらしない人がいる。自分が出すメールの5回に1回しか返信がこない人もいてそれならまだ許せるが全く来ない人もいる。そんな奴だったかと思うと裏切られた思いがする。」と語る。

店主はMに、「君の歳ならそんなこと考えずに仕事に打ち込め、言っても来ない人は放っておけばいい。相手は今Mと関係を持っても何の得にもならないと思っているだけ」、「とらわれない自分が大事」と、人生を説く。Mにとっては心に響くアドバイスだと思う。
僕はそこで「コミュニケーションを大事にしていた仲間達だから、Mは特にそう思うのだ。」と解説を入れた。

僕はリタイヤして人の価値が改めてわかった。長という肩書きがあったから寄って来た人達は肩書きが無くなれば去っていく。それは引き潮のようにあざやかだ。得にならないことはしない。

寂しいのは「弱い者いじめはしない」と心して強い者から損がわかっても守った人が去って行くことだ。
自分の今の損得を考えてなのか?やはり弱い人なのか?
わからないがそんな人が関係を切る事をMには許せなかったのだと思う。僕と差しで話したかったのはその事だ。

乾いた喉を潤おわせてあげたくてMは水場に引っ張っている。飲むか飲まないかは勝手だ。でも飲んで欲しいと思っている。「美味しいよ」!

これからもMと差しで飲んで行きたいと思う。歳は16違うが、いい男だ!

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by willfiji | 2013-07-11 17:47 | Thnking | Comments(0)

血の轍’わだち)

『君が信じる正義と組織が守りたい正義は違うのです。残念ながら正義は時と場合によっては姿を変える』。

「血の轍(わだち)」(著・相葉英雄)は警察特有の組織の実態を公安と刑事の組織のメンツをかけた戦いを描く警察小説の傑作だ。

刑事、兎沢は目の中に入れても痛くない幼い愛娘を白血病で失う、それを娘の運命とは納得できないでいる。娘の担当医は優れた腕を持つ国立病院の医師だったが、手術当日、過激派左翼として別件逮捕されたからだ。

兎沢が一人前の刑事になれたのはかつてコンビを組んだ先輩刑事、志沢のおかげだが医師の逮捕には志沢が大きくかかわっていた。志沢には刑事課の中で、正義感から越権捜査をしたためにその職を追われ、その卓越した能力を見ていた公安が拾った過去がある。

小説は国家組織を守る為に総力をあげて汚れた既得権益構造を隠蔽する公安とそれを暴くことで権力闘争に勝利しようとする刑事部の戦いを描き、どんどん読者を引き込んでいく。正義の味方、社会悪に対峙する警察の姿からはほど遠い世界だ
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『正義』は人に勇気を与え、生きる価値を実感させる。それは揺るぎないものである事だと思っていたが、実は正義とは相対的なものではないのかと作者は問いかける。

どんどん引き込まれる警察小説のテーマが大きくなる。

人は立場が変わる事によって人格までも変わることが少なくない。
変わっている自分を変わらない自分がきちんと見ていることができるだろうか?
守るものが何かがはっきりしていれば軸足がぶれる事はないだろう。

「弱いものをいじめてはいけない
」、それが正義だと心してきた。
組織を守るために弱い者をいじめてもいいのだろうか?それを正義だとは思わない
この本を読んでもその言葉に納得はできない自分がいた。

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by willfiji | 2013-03-09 22:38 | Thnking | Comments(0)

蛍草

蛍草・(著・葉室麟)とは『つゆ草』の事をいう。
はかない花だが、この本は心に一点の曇りもない元気で明るい娘、
奈々の「逆境の中でも前向きに苦難に立ち向かう姿を描いた物語だ。

『究極の葉室作品』との書評を読んで早速読んでみた。

難しい言葉を使いがちな時代小説を作家特有の易しい言葉で意味の奥深さを伝え、
読者の気持ちをぐっとひきつける。書評に誤りはなかった。


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奈々が武家の娘という身を隠し女中として奉公にあがった先は心優しい奥方の佐知とお似合いの夫(25歳)の市之進、そして幼い兄妹が暮らす質実で温かい家庭だった

佐知は妹のように奈々をかわいがり子供たちも明るい奈々に懐く。
奈々の振る舞いから武士の出であることを佐知は知るが深く詮索することはない。

ある日奈々がなぜ女中の自分にそのように接してくれるのかと尋ねる。佐知が言う。
葉室言葉はわかりやすい。

『いわれがなくても心配してしまうのは相手の間に絆があるからです。
ひとは絆にすがって生きていけるのだと思います。奈々もいつか、
そんな絆が目に見える日がくるでしょう』。


この一文に会えただけでもこの本を読んだ価値があった。

佐知の姿は奈々をうっとりさせるほど美しい。奈々も次第に美しい娘になっていく。
『蛍草』のいわれを教えた佐知は労咳に倒れ、家族を奈々に頼むと死んでしまう。

聡明で人望の熱い市之進は藩内に虫食う長老派の不正を正そうとする改革派のリーダーであった。

奈々の父は城内で刀を抜いたことで切腹させられ家は廃絶となった。
奈々が敬慕する市之進が戦っている相手こそ父を切腹に陥れた長老派だと知った時、
市之進は長老派の陰謀にかかり遠方に流され家は召し上げらえる。

2人の幼い子供を野菜を売って奈々は育て、父の仇討ちと市之進の赦免の道を探る。・・・

爽快小説だから、最後は心地よい結末となる。
葉室の文章の心地よさと伴って読書時間がエンターテーメン卜になったことは間違いない。

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by willfiji | 2013-02-27 11:33 | Thnking | Comments(0)

等伯

今話題の直木賞受賞作、『等伯』(著・阿部龍太郎)上下巻を読まないわけには行かない。

女性画家『春香』の一途な愛を易しい言葉で描いた葉室麟の『千鳥舞う』も尾形光琳の放埒な生き方を書きあげた高任和夫の『光琳ひと紋様』も画家の生涯を描いた事では同じだがこの『等伯』は一味も二味も違った。作者が等伯の中に生きる小説だ。

長谷川等伯は幼い頃に能登の七尾の仏画家の養子となる。義父は秀でたその画才を見込み実娘の婿にする。仏画の域を超えた絵画に魅了された等伯は京の都に出て絵を極めたいと思うようになる。生家が武士の等伯は兄の本望である元七尾城主の畠山家再興の企てに協力する事を、京での修行と引換に約す。

そこから等伯の波乱の生涯が始まる。義父義母は自害し等伯の望む道を歩ませ、妻静子も等伯の思いを遂げさせることに尽くし短い生涯を終える。等伯は戦乱の中にあって、自分の魂に触れる絵画の真髄を求め、法華の道が説く『心をうち震わせる』絵を求め続ける

当時絵画の世界の頂点は狩野家が占めていた。その狩野に習いながらも等伯の心は埋まらない。長谷川派を目指すことになる。
信長、秀吉と狩野派は体制側につき、ことごとく等伯に対峙する。長谷川派を継ぐ程の力量を持った等伯の息子は狩野派の陰謀によって殺される。等伯は法華の道を心に、命をかけて絵を描き続ける。等伯の絵を見抜く高貴な人達に助けられ、遂に狩野派と並ぶ長谷川派を作り上げるに至る。

多くの犠牲が等伯を生かし長谷川派を創設するが、『自分のわがままで多くの人が命を無くした』と等伯はその犠牲になった者を思い悩み続ける。

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阿部龍太郎は等伯の葛藤するその姿を、悟りに至る僧のように真髄に近づく画家として描いていく。
日経新聞に連載中に3・11大震災が起きた。小説家に何ができるのか?
阿部は自分がうちのめされそうになった時、等伯の画集を広げ生命力をもらったと語る。

等伯の中に小説家として生き抜く道をみつけたのだと思う。上下2冊が丁度震災前後になるのかは書かれていないが。阿部と等伯のように仕事が自分の分身である時、人は一心不乱になれるものだ。

思えば最近は偉人ではない画家や鉄砲鍛冶や編集者の物語ばかり読んでいる。そんな自分に気がついた。人が最後に求めるものは見上げる権力ではなく等身大に生きる道なのだろうと思う。

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by willfiji | 2013-02-20 21:05 | Thnking | Comments(0)

玉兎の望み

「玉兎」とは月のことを言う。字をよく見れば納得だが、この本、「玉兎(ぎょくと)の望み」(著・仁志浩一郎)で初めて知った言葉だ。

琵琶湖の湖北、国友村の鉄砲鍛冶職人、藤兵衛と貧しさ故に舞妓になったサヨの「月を見るたびに慕う人を思う」、一途な恋を背景に、藤兵衛の仕事を通して人としても磨かれ、理不尽な封建制度に立ち向かう姿を描いた長編ロマンだ。

「うちほんまに藤兵衛はんのお嫁はんになりたかってん、けど今日でうちの心は死ぬねん」
と村から出る、サヨ15歳。
藤兵衛はその時既に一人前の鉄砲鍛冶として家督を継いではいたが平家衆に生まれた手元にはどんなに腕が良くても江戸の飯炊き女程の収入もなかった
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年寄り衆は鉄砲を作らず遊んでいても暮らしが立ち、実際に鉄砲を作る腕を持つのは平家衆であったが娘を売るほどまでに貧していた。年寄り衆の平家衆に対する理不尽な振る舞いも目に余るものがあり、お上に訴えても鉄砲の発注を減らされ更に貧するのは平家衆だった。

これは士農工商の工の中にも年寄り衆と平鍛冶といった階級制度があったことによる。
当初は秩序ある封建国家に見合った制度であったろうがすでに弊害でしかない制度は崩す者の多くの犠牲を経て幕末というあるべき姿と同じ方向に向かっていた。

藤兵衛は腕も立つが世の中の流れの中で己の技を生かす道を見つけることが出来る職人だった。鍛冶師は鉄を鍛えながら己を鍛える、そんな藤兵衛の姿を仁志は描く。
藤次郎は困難の中から国友村を再生する。ひたむきに職人技を生かす事で村に富みをもたらし、やがて長となる。一徹な気持ちと私欲のない生き方を藩主が知りサヨを身請けし2人は苦難を乗り越えて夫婦となる

隠居になった藤兵衛が連れ添うことのできたサヨに語る言葉が実にいい。平和な世に鉄砲はいらなくなると先を読んだ藤兵衛が望遠鏡を完成させた時の言葉だ。

「おそらくお金儲けなど考えず無欲になれたから、できただろう、感応道交の賜物というしかない。」
『感応道交』(手を合わせて仏 さまをおもっていると、仏さまもわたしのことをおもっていて下さる)。という四文字熟語、『玉兎』とともに心に留め置きたい言葉だ。

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by willfiji | 2013-02-09 21:14 | Thnking | Comments(0)

影武者

刎頸(ふんけい)の交わり」、「竹馬の友」とはいうが、こんなにも壮絶に友に尽くすことができるのだろうか

百田尚樹著の「影法師」は涙をぐっとこらえた物語だ。ベストセラーになったデビュー作「永遠の0」を超えたものは話の展開のおもしろさ以上に交わした約束を守る武士の魂が一生を貫く生き方を描きだしたことにあった。

勘一は幼い妹と父とで川釣りに行った帰り道に上士に出会う、下士は土下座しなければならない。母の着物の縫い直しではあったが妹は今日初めて着る着物を汚すまいと手拭を敷いた、上士は「無礼者!」と泥をかける、7歳の勘一は「馬鹿者」と言葉を吐いてしまう。
上士が刀を抜き勘一は覚悟を決める。父は子を守るために刀を抜き斬りかかる。父は死にその時でも貧しい勘一の家の俸禄は半分に減らされ、母の内職でやっと暮らす幼い日々を送る。

下級武士は一生下級武士であったが、私塾で秀でた才を発揮した勘一は特別に藩校通いを許され、そこで運命とも言える文武共に藩校一の彦四朗と出会う。彦四朗は次男ではあったが婿に引くてあまたであって将来要職に就くことは誰の目から見ても明らかだった。

お互いの内に武士の心を知った2人は刎頸(ふんけい)の契りを交わす。国の礎である米を作る農民は下級武士より虐げられている。百姓一揆を企てた者の斬首に勘一は衝撃を受ける。

「潟を開拓することが国を富ませる」と命をかけて直訴する、と覚悟し干拓を彦四朗に頼む。
「まだ待て、今勘一が死ぬのは国のためにならぬ」と言ったその言葉が二人のその後の運命を分ける。

彦四郎は勘一をも欺き、勘一の出世の障害を影武者のように取り除いていく

やがて干潟の工事も着々と進み苦境だった藩の財政も好転する。その功績により勘一は筆頭家老にまで上り詰め、彦四朗は卑怯者の汚名を負ったまま不遇の死を遂げる。死後勘一は人生の節目毎に彦四朗の影があったことに気づく、その為の汚名、不埒な酒飲みとなって出奔した理由を知る。
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報いを求めない犠牲に武士道の本髄を見ると言えば簡単だ。

刎頸(ふんけい)の友」という言葉はロッキード事件で有名になった。調べてみると、「その友人のためなら首をはねられても悔いはないと思うほどの、親しい交わりのこと」。とあった。

物語ではあっても偉大でありすぎる人達に接した時、その足元にでも近づく自分でありたいと思うのが精一杯だ。百田氏の小説に司馬遼太郎に近いものを感じた。

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by willfiji | 2013-02-02 17:04 | Thnking | Comments(0)

罪びと

「光琳ひと紋様」の著者高任和夫の得意とする経済小説「罪びと」を一挙に読んだ。
高任氏は三井物産の元社員だから商社のビジネス戦争を描いた企業小説かと思ったが内容は違った
現役の商社マン2人と早期退職制度を使ってリタイヤした元銀行員の3人が主人公。
       この3人に共通しているのは
「意に反することしない」「間違ったことがあれば正していく」「パフォーマンスは嫌い」「無駄な残業はしない」「休暇はきっちり取る」といったこと。
だから傍流の仕事に追いやられる。おべっかも使わないから今の時代に出世はできない
若い時は仕事に打ち込み、会社に貢献することが生きがいにもなっていたが、主流から外されてからは会社に対するロイヤリティーは微塵もない。

3人は家庭からも疎外されその郊外にあるマイホームにつながる支線の枝分かれの駅で途中下車してなじみのスナックに足げに通う。
  在日のママとホステス、そこに来るお客との会話や女性とのちょっとした出会いが
  彼らの生活の一部となっている
残された人生を考えるとその延長の中で終焉を迎えるような感じだがそれを不幸とも思わない。
一見つまらない人生だが所詮人間とはそんなもの、自分だけの小さな楽しみがあればいいし、明日死んでしまってもなんの未練もない。
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多くの企業と社員のこれが実態なのかもしれない。
  失われた20年で守りにまわった企業は活力を失った。
会社は株主のものと言ってはばからない経営者は社員を駒としか考えず、社員から成り上がった労働貴族が主導権を持つ組合はチェック機能を放棄した。

熱く情熱のある有能な社員はやる気を失い、せめて自分の心に忠実に生きる道を選んでいる。
害のない無能な社員が会社にしがみつき上司に都合のいい者だけが出世する。
そんな企業が珍しくなくなっている。高度成長期の貯金で食いつないでいるからやがて淘汰される
    定年や早期で退職すれば企業の最後は見なくても済む。

企業戦士が華々しく活躍する経済小説に比べてこの小説「罪びと」は現実的だ。
止まり木で満足している有能な社員の復活も企業の衰退も描くことなく終わる。自分の人生は自分で決めることしかできない。
だから、ビジネスマンの人生はそれでいいのかもしれない。

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by willfiji | 2013-01-23 21:48 | Thnking | Comments(0)

光琳ひと紋様

銀の含有量を9割から5割、最後には1割にして財政を工面する今と同じ金融緩和をやっていた元禄時代に光琳は生きた。
この本「光琳ひと紋様」の作者高任和夫は経済小説を得意とするが、その後緊縮財政を敷いて幕府を立て直す新井白石にスポットを当てる事なく、光琳その人を描く。

女子(おなご)に淫し、絵に淫す」という言葉を使って光琳その人を浮かびあがらせる。弟幹山は禅と書に通じ、京焼陶芸の道をきわめる。光琳とは対極的な人。幹山がいたから我々は光琳を観ることができる。「兄さんはひょっとして解脱しつつあるんとちがうか?」、莫大な父の遺産をくいつぶし美を探求する兄ではあったがその生き方に禅と同じ価値をみいだす。

一心に追求している時こそ人は満足の境地にあるのではないのか?光琳は俵屋宗達の画風に惹かれ、時にお金のために当時人気の狩野派風の絵を描きながら納得する美を追求する。そして独自の絵画を創造していく。

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たった一度の人生だからやりたい事をやって生きていきたいと誰でも思うだろう。
やりたい事が何かがわからない。どうやってやればいいのかわからない。やりたいことだけやっていては生きてはいけない。それが人生ではないだろうか?

やりたいことを求め続けて行くことと、あきらめてしまうことには大きな違いがある。
経済小説畑の作者は「光琳ひと紋様」を通じてそんなことをビジネスマンに訴えているのだと思う。

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by willfiji | 2013-01-19 18:57 | Thnking | Comments(0)