「わたしを離さないで」(著、カズオ・イシグロ)
引き続き、ノーベル賞作家のカズオ・イシグロの書。
「浮世の画家」とは全く違うシュチエーションだが飾らない文章が淡々と続きいつの間にかイシグロワールドにポツンと置かれたような気になる点は変わらない。
あわてないで出口を探る、
この人の書はそれがおもしろい。
主人公キャシーは介護人、患者が提供者と書かれて、その世界がイシグロワールドの中にある事を読者は知る。
キャシーの子供の頃から青年期までの回想から、彼らの立場がクローンだと知るに至る。淡々と語られるから悲劇ではない。クローンという言葉から想像されるどこまで神に近づくのかと言った問いもそこにはない。
私を離さないでという題名が示すのは「ネバーレットミーゴー…オーベイビー・・ベイビー、わたしを離さないで」の音楽に合わせて小さな女の子であったキャシーが躍るシーンからだ。彼女は人形に見立てた枕を抱いて躍る。
やっとできた赤ちゃんがどこかに行かないように、ずっとその腕の中にいるようにという母親になったような気持ちでキャシーは踊る。
キャシーは赤ちゃんを産めない、11歳の子供の踊りにイシグロが意図する答えは何だろう。
人間は進歩しているのか?このまま行ったら何処まで行きつくのか?
人類は確かに進歩し平均寿命は延び、戦死者も減っている。国連やEUができ世界は融合に向かっているかに見えた。人々は知的になって寛容になっていくように見えた。
それが今、おかしな方向に向かっている。
習近平、プーチン、トランプ、そして安倍晋三、国民が選んだのだから仕方がないが、
世界の指導者としての人徳がまるでない人たちだ。
イシグロはクローンであるキャシーが自らの身を嘆く姿を描いていない。運命を受け入れている。ボク等もこの世界の進歩が止まってもそれを受け入れることができるのだろうか?既にボク等もクローンとなっているのではないか?
現実の世界ではクローンを作り臓器を提供させるようなことに人類は手を染めないという諒解がある。
しかし徳目がこれ以上に衰退すればクローン賛成者が国民の多数を占める可能性は否定できない。
指導者たちを見ていると自分たちが生き延びるためなら何でもやりそうな気がする。生命の歴史には退化的進化というのがある。世界は今その時なのかもしれない。