「河畔に標(しるべ)なく」(著・船戸与一)ミャンマーの軍事政権時に繰り広げられる、マンチェイス(人を追う)冒険小説。
この本を書くために著者が取材案内を頼んだ高野秀幸氏の「ミャンマーの柳生一族」を先週書いた、取材した結果がどんな小説になったかを興味を持った。
船戸ワールドというものに初めて触れる。
ミャンマーはこの国をなんと呼ぶのかといったことでもわかるように複雑な事情が込入り、アウンサン・スーチーがやっと先頭に立つ事ができたが前途は多難だ。船戸氏が取材した時は北朝鮮と同じように軍事独裁政権下にあってこの本が発行された6年前はスーチーが湖を泳いできた米国人と面会した事によって
軟禁から拘禁に切り替えられたという事があった。
ミャンマーはタイ。中国、インド、バングラディッシュ、ラオスに囲まれた人口5000万の国。少数民族も多く、それぞれが独立を標榜し、各国の思惑もあって敵味方が常に入れ替わる。軍事政権資金は少数民族の栽培する阿片によって作られ、その資金はロシアや中国からの闇ルートによって運ばれる武器の購入に当てられる。中国系やインド系やイスラム系の人々が登場する、その生い立ちはこの国の
歴史に忠実だ。
ミャンマーと日本の関係も
歴史的事実に基づいて書かれている。
スーチー氏の父親アウンサンはビルマ建国の父。イギリスからの開放と独立を約束して日本軍がアウンサンをバックアップするが、結果は日本支配、アウンサンは日本に反旗を翻す。事実は小説の質を高める。日本がアジアの人々の開放を目指したのが太平洋戦争だとネットウヨばかりではなく言う人が出てきた、真に受ける人が多い事は
危惧すべきだ。この小説からも歴史を正しく学ぶ事ができる。
トランプ氏やフランス極右のルペン党首の人気が高まっているがこの人達が国の指導者になったらどうなるだろうか?日本も同じ傾向がある。
世の中が混乱すると
強い者に引っ張っていってもらえばいいという人達が増えてくる。
EUにみられるように人類は多くの戦争から学んで戦争のない世界を目指してきた。
時代は逆戻りしだしたのだろうか。
そうなってはならないという人が絶対多数を占める世界を作らなければならない。
小説は武器が物言うマンチェイサー物語だがそれに相応しい結末となる。
武力では何も解決しない からだ。