雪の練習生(著・多和田葉子)はホッキョクグマが主人公の純文学。
主人公のホッキョクグマに語らせる芥川賞受賞作家らしい小説だ。
動物園ボランティアの先輩から教えて頂いた。
このホッキョクグマ、人間のように新聞を読み、時に文筆家として活躍する。
クマたちと語り合い、人間社会のパーティーにも出る。
絶滅種であるホッキョクグマが自伝小説を書くという設定だが感想文は難しい。
そこで
動物の擬人化について考えてみた。
TV番組で犬に松坂牛や大トロ等の高級食材を与えるシーンが後を絶たない。
せっかくの動物番組が下賤なものになってしまう。高級食材は
人間が品を持って食するからこそ価値がある。
ペット動物の死に対して必要以上に痛む心を現す場面に遭遇することもある。愛したかけがえのない命であったことはわかるが人間とは
違う個体であるという隔てた気持ちを持つ事がそれを支配していた人間として必要なことではないだろうか。
一方、最近面白いと思った事の一つに動物園での動物の名前についての議論がある。
人気動物のカバやキリンに名前がついている事が多いが「
種としてわかれば不要だ」とう意見もあるようだ。
ボクは擬人化には反対だが
名前はつけるべきだと思う。
動物の名前を教えただけで子供たちは目を輝かせる。大きな声で
名前を呼ぶ子もいる。
その動物との距離がグーンと近づく事になる。
また動物にとって
個体識別は健康保持や日常管理の面でも重要だ。鑑識やマイクロチップもあるが名前はアナログだが最もシンプルで記憶しやすい。
「雪の練習生」は難解だがホッキョクグマは世界中で人気者だ。
人のように
2本足で立つ姿は凶暴さを超えて愛らしい。擬人化を超えた姿があるような気がする。